国際的なスケールで、自分の日常を切り取ると、それがなんともちっぽけなものだと思うことは、案外きゅうくつな日本社会で生きるうえで、結構重要なことなのだ、とあるときから思うようになった。梨木香歩の『西の魔女が死んだ』を読んで、やっぱり、その思いを強くする。
学校にいけなくなった「まい」は、昔、英語の教師として日本にきて、そのまま日本人の祖父と結婚して、そのまま住むようになった「おばあちゃん」の家で過ごすことになった。この「おばあちゃん」を、「まい」の母は「西の魔女」と呼んだ。
学習ではなく、日常生活を行う中で、祖母から教わる様々なことがらは、「まい」の心を癒していく。
そんなふうに書いてしまうと、どことなく陳腐だが、ただ、どこかでそうした生活にあこがれている自分がいる。まだ、親の生地が地方にあった時代の子どもだったから、帰省というのは普通のことで、そこで自然に触れることができた。
夏の川の冷たさ、スグリの実を集めてジュースをつくる、ヤママユガの繭を切る、木の枝にロープを通してブランコをつくる、釣り、雲を追いかけて隣町まで自転車で行く、五右衛門ぶろ、花火、そんなことができた時代だった。冬の記憶は少ない。なぜなら、冬は、岩手は雪が少ないわりに寒く、親はあまり帰らなかった。休みが少なかったから、というのもあるだろう。そこにはゲームもなく、ましてやスマホなど影も形もなかった時代だ。
学生時代は、規則的な生活をしたことがなかった。バイトは時給を増やすために深夜をまたぐバイトをやった。少し寝て、学校に行って、次の日は全休にして、また学校に行ってバイトにいった。週3で夕方から朝までのバイト、ほかの時間で赤ペン先生のようなバイトと、時々ある週末のイベント設営のバイト。受験勉強なものはしなかったが、本は読んだし、議論もした。特に深夜バイトは、苦学生の東大生や、大学院にいく留学生がたくさんいたので、ひまなときに、そういった人たちと話して、自分の知らないことを教えてもらったりした。比較的、バイト先の人で悪い人はいなかった。運がよかっただけなのかもしれない。
そんな規則的な生活が、精神の安定を生み出す、というスピリチュアルでもなんでもないことが、この小説では祖母の教えとして出てくるが、今になって思えば、そうしたスタイルを決めて実行することの方が難しいものだ。自堕落に生きる方が、実は簡単なのだ。
規則正しい生活とは、実は、環境変化を察知するためのアンテナだ。リズムが崩れていると、リズムを崩しにかかってくる環境変化がわからない。なぜならすでに崩れているわけだから、外からのプレッシャーを感じ取れなくなってしまう。対処が遅れるのだ。
この規則正しい生活に戻すことを「魔女修行」として提示した祖母。「まい」はそれを無理なく受け止めていくようになるが、そこに異物としての「ゲンジさん」というおっさんが出てくる。「まい」がゴミ捨て場にいったら、エロ本が捨てられていて、嫌悪感を催す。それは「ゲンジさん」が捨てたものに違いない。そして、「ゲンジさん」は人のうちの車をじろじろと眺めていた。その不快感が、「まい」の警戒感を呼び起こす。
ある時、祖母が飼っている鶏が何か小動物によって殺された。「まい」は大変かなしく思った。その網についていた毛が、「まい」の忌み嫌う「ゲンジさん」の家の飼い犬の毛と類似している。「ゲンジさん」の家の犬がきっと鶏を殺したのだ、と祖母に「まい」は告げた。
「いいですか。これは魔女修行のいちばん大事なレッスンの一つです。魔女は自分の直観を大事にしなければなりません。でも、その直感に取りつかれてはなりません。そうなると、それはもう、激しい思い込み、妄想となって、その人自身を支配してしまうのです。直観は直観として、心のどこかにしまっておきなさい。そのうち、それが真実であるかどうか分かるときがくるでしょう。そして、そういう経験を幾度かするうちに、本当の直観を受けたときの感じを体得するでしょう。」
しかし、「まい」は納得しない。
「まい、どうか分かってください。これはとても大事なことなのです。おばあちゃんは、まいの言っていることが事実と違うことだといって非難しているのではないのです。まいの言うことが正しいかもしれない。そうでないかもしれない。でも、大事なことは、今更究明しても取り返しようもない事実ではなくて、いま、現在のまいの心が、疑惑とか憎悪とかいったもので支配されつつあるということなのです。」
「まい」はそれでも食い下がる。
なぜ、「まい」の「ママ」が、おばあちゃんすなわちママのお母さんを「西の魔女」と呼ぶか。オズの魔法使いにおける「西の魔女」とは、他人を服従される悪い魔女なのに。理路整然とした感化力のようなものが、ママには苦痛だったのだろう。
そして、「まい」はパパの異動にともなって転校を許諾する。
その後…。
「西の魔女」の行く末は、「ゲンジさん」はいったい。
やっぱり、いい話である。
「西の魔女」が日本に来て、結婚生活を送るとなったとき、それはそれは環境が激変したことだろう。その変化の大きさに耐えるには、自分軸を立てて、それをしっかり守り抜かなければ気持ちがぐらついてしまう。そのことを、直接、「まい」に言うことはなかったが、彼女の示唆は、転校した「まい」をエンパワメントした。
『西の魔女が死んだ』の文庫本の中には、「渡りの一日」という、その後の「まい」が描かれる短編があるが、これもまた、ユニークというか、ヒューマンな一篇だ。併せて読むと、一つのエピローグとして、整う、気がする。
時に、殺伐としがちな気持ちを、元に戻してくれる本があってもいいじゃないか。