光朗(ミツルー)の日記

窓際社員のミツルーです。読書かと思えば最近は本当に日記です。

森下典子『日日是好日』〜2025年度・新潮文庫の100冊を読んでいく〜 63

森下典子さんによる自身の24年間にわたるお茶修行のエッセイ。

 

お作法系かー、と半ば身構えて、読んでみたところ、土井さんにも抜き難くある説教臭のようなものはあまりなく、楽しく読むことができた。

 

土井さんもおそらく自分の積極くささを自覚して、それを出来るだけ脱臭しようとして、「という提案」というタイトルにしているように、男系のエッセイにはどうしても相手の行為を変えようとするニュアンスがつきまとう。それは小生自身の書くものもそうだ。それは仕方がない、と思う反面、リアルな男と女の違いというのでもないような気がする。塩野七海のエッセイは、極めて男臭く説教くささに満ちている。

 

森下さんの『日日是好日』を読むと、花嫁修行としてのお花とお茶という偏見を超えて、お茶修行が面白そうと思わせる。ちょっと、小生もやってみたいな、と思ったくらいである。ただ、修行のハードルが高そうなイメージは覆されなかった。たくさんの人が集まるお茶会に男性の出席は少なく、その雰囲気も若干敷居が高そうであった。

 

ただ、小生、ゴルフかお茶か、と言われたら、お茶を取るかな。とは言え、正座は絶対できない。ので、何もできないということになる。

 

畢竟、思考の回転を無にするお茶の効果を森下さんは体感している。そこが凄い。これはもう座禅や瞑想、ジョギングと同じジャンルのものではないか。先日読んだ本で言えば、「戦略的暇」としてのお茶だろう。あれこれ次の手順を考えてやろうとする森下さんに、お茶の先生の「武田のおばさん」は、考えちゃダメだという。ブルース・リーを思い出す。しかし、ある程度技能に精通した人なら、考える前に体が動く、ということを知っているに違いない。この境地を理解するだけでも、読む意味はあるだろう。

 

確かに、タイトルで、中身が想像できないので、一見さんには手に取りにくい本ではある。しかし、長くそれでも読み継がれているということは、優れたエッセイなんだろうと思う。小生も、それには異論はない。一度、読まれてみると、きっとその感覚はわかってもらえると思う。

 

後半、和菓子や茶器や、環境音について、自然の見立てがあるという話のところはなるほどと思った。こういう謎かけのような仕掛けをお互いに理解するというのは、やはり通人であり、かつ、近代に入りかかった室町後期の空気なんだと思う。小生は、日本ルネサンスとしての室町時代という発想に、結構影響されている。和歌だけじゃなく、自然の見立てを物質的にも行っている、というのは、日本的なものだと思う。