光朗(ミツルー)の日記

窓際社員のミツルーです。読書かと思えば最近は本当に日記です。

星新一『ようこそ地球さん』〜2025年度版・新潮文庫の100冊を読んでいく〜 65

星新一は昔から好きで、おそらく新潮文庫のものは評伝も含めて全部読んでいると思う。だから、読んだフリでもいいかと思ったけれど、一応、猛スピードで読み返すくらいはしておくべきかと思い直した。しかし、なかなか本は見つからず、結局古本屋で買うことになった。なんとも無駄なことである。これは星新一的な風刺になるのではないかとも思う。

 

それで『ようこそ地球さん』なのだが、まあ、初期短編として、非常によくできていると思う。最後の方になると、読み手も手慣れてきて、マンネリを感じ出す。そうなる前の清新な、小気味のいい構成が、やはり素晴らしい。純文学もそれなりに好きな私だけれども、筋のある小説、筋のない小説、どちらも悪くないと思う。筋があると低俗というかつての中間小説の議論は、本当は筋の問題ではなく、読者の姿勢の問題なんだろう。紅白でいえば紅組ファンと白組ファンがプロレスをやっているようなものなのだと思う。

 

昔、出版社で一緒だった先輩は、星新一をロックで狂ってると言ってたけれども、それはまあ感想を具体的に言うのが億劫だったから、そんな表現になったのだろうと思うが、狂ってるというよりも原因を循環させるロジックを多用している、ということなんだと思う。星新一を最初に読めばそんな感動に満たされると思うけれども、ある程度経験すれば、星は物語構造のプロトタイプをひたすらに試しているという気がした。その意匠を支えるのがSF的な論理構造なのだと思う。それはやはりすごいことで、「セキストラ」なんかは、今のテキストベースのホラーの蒸留しきったもの(いや以前にもいくらでもあるような気がするが、『ドグラ・マグラ』くらいしか思い出せない。『こころ』もある意味そうか)だろう。

 

今回、『ようこそ地球さん』で、今まで認識すらしてなかった掌篇に良さを感じた。一つは「蛍」という作品である。窪田空穂の

 

その子らに捕らえられんと母が魂 蛍となりて夜を来たるらし

 

という歌を久しぶりに目にした。これがモチーフとなった作品で、ちょっと結末は甘々だが、むしろそれが今は心地が良かった。

 

松本に住んでいた時に、時々、窪田空穂の記念館に行った。興味があったというわけではなく、当時、周囲の小さな記念館をとにかく回るという変なマイブームがあったからだ。その中で、意外と面白く、居心地の良かった記念館に窪田空穂の記念館は入る。そこでこの歌をみた覚えがあった。その時のよるべない気持ちを思い出したのである。おそらくそうした感情が、この小品と共鳴して、良き感想となったと言える。

 

ちなみに、個人的な長野県の居心地のいい記念館として、島木赤彦記念館(下諏訪)と有島生馬記念館(信州新町)がある。

 

あと、やっぱり何度読んでもいいのは「殉教」だ。

死後の世界と交信できる機械が現れて、死んだ人と話すと、こんないいところはないという。で、苦しまない自殺を選ぶ人が増え、その人がマイクを通して、「いやあ、こんなにスッキリするものとは知らんかった!」みたいなことを言うので、その機械は瞬く間に、人々の手から手へ、国から国へ、死体ばかりを増やして流れていった。その後、である。

 

ある男がブルドーザーで黙々と死体を片付けていると、一人の女が声をかける。男は驚くが、ブルドーザーに乗せる。

 

「それでどうして死ななかったの?」

「どうもよくわからんが、おれには信ずるという能力が欠けているらしい。死んだ連中とおれとのちがいはここにあるらしい。連中には、科学の成果である機械、親兄弟や友人の声、それに自分の耳や判断力、また、あの世という理想の国の存在、こういった物を信ずることができるらしいぜ。ところで、きみはどうしたんだい。機械と話してみたのかい」

「あたしは、なぜだか、はじめから、あの機械に関心がなかったのよ」

 

 

二人はブルドーザーで死体を片付けながら、

 

「あら、おなかまがいるわよ」

ふりかえった彼の目にも、遠くからあとをつけて歩いてくる何人かがうつった。生き残りのなかまたち。それは宗教はもちろん、科学も、人間も、自分自身も、死も信ずることができないなかまたちだ。

「なるほど、これからは、あいつらといっしょに新しい社会を作るわけだな」

「どんなことに、なるかしら」

「わかるものか」

 

 

これは20代の時に読んで、今でも時折思い出す、名シーンの一つだ。世紀末に社会に放り出される時に、常に念頭にあった。今回、詐欺サイトにやられて、また、このことを思い出した。ただ、彼らも自分自身の感覚は信じていることだろう。根底は、やはり、自分の常識的な感覚にあると思う。

 

年末、浮き足立っている、世界も小生も。