何度か読んでいたこともあって、案外内容を覚えており、スムーズに読み終えた。しんねりした作品だから、読むのがつらいかもなんて思っていたけれど、思ったよりも楽しく読めた。ヨーゼフ・ギーベンラート氏の息子、ハンス・ギーベンラートの話。
ハンスは、田舎の神童だった。学習に長け、そういう子どもの常として、神学校に送られ、寄宿舎に入り、牧師になるための教育を授けられる。しかし、ハンスはそれなりにいい成績で入るものの、友人関係に悩み、結果、病気になって故郷へ戻る。そして、工人としてのキャリアを開始するが、女性との関係でショックを受け、泥酔し、そのまま溺死する。それを父のヨーゼフは回顧するという形式になっている。
幼くして母と死に別れ、そのため、ハンスは、愛情のようなものを適切に受けられなかったというきらいもあるのかもしれない。病気になって故郷へ戻ってきたときのヨーゼフ氏の対応に問題なかったとはいわないが、それほど暴君というわけでもないのだ。どちらかというと小心で、自分の経験の外には出ない人物である。それなのに、ハンスはそんなことになってしまうのだ。
ハンスと、神学校で友人となるハイルナーは、ヘッセのそれぞれ分身だとされる。詩人であろうとして反抗的批判的になり、放校に至るわけで、それはヘッセの経験でもあり、またハイルナーがいなくなったあとでハンスが経験する冷たい視線と体調不良も、ヘッセの経験のよう。ヘッセはそこから工人として再起し、そこから詩人作家の夢をかなえていく。
この小説はなんだろう。割と答えを期待しながら読んでしまうが、この小説の言いたいことは何だったろう。イイタイコトを明らかにすることが小説の読解ではないとそれなりに自覚しつつも。でもやっぱり何かしようとする意図はあるんじゃないかと。だとすると、いったいそれは何なのか、と。
一つは大人との関係。町のおじさんでハンスにそれなりに良くしてくれた人がいるんだけれども、勉強することでそのおじさんの素朴な善意をハンスは馬鹿にしてしまうことで、自らの視点の複数性を閉ざしてしまったのではないかなと。
すべて彼に関わる大人が悪い、社会が悪いということで書かれているわけでもない。ハンスの受動性、主体的に見えるようで決断に欠ける部分が目立つ。それを自分で何とかしろということでもなくて、ヨーゼフや教師たちとハンスの間で、何かできなかったのだろうか、と問いかけてきているような気がする。
特に、ヨーゼフは、病んで療養に家に帰ってきて、ハンスを責めるでもなく、見習いへやっている。要するに、不登校の問題、ひきこもりの問題、社会復帰の問題の変奏のようにも読める。単純に20世紀初頭にも、現代と同じ問題が、懸念されていたということなのだろう。
するとこのチョイスは、若者が場所との齟齬や軋轢に悩む、という普遍的な問題解答の一つということになるのかもしれない。悲劇的な結末だが。まあ、でも、暗いな。