今、何を書けばいいのか。あんまり思いつかない。ルネサンスのことを書くのだからルネサンスについて知ってることを書こうと思うのだけれども、生きていたわけじゃないから、パッと思いつかない。普通のことである。
ルネサンスについて一通りを復習しようと思って、西村貞二『ルネサンスと宗教改革』という本があったから、読んでみたら、まとめづらかった。というのも、多数の史料をみて、それらを綜合した記述となるので、すでにまとまっている。まとまっているものを圧縮するのは簡単ではない。
中世もルネサンスも王政も、存外明確に線引きできるものではない、ということだけがわかる。でも線は時代区分というかたちで引いてあるではないか、とこちらは思うが、細かく見ていくとそうではないと言われるので、どちらなんだよと思う。
それでもやはり中世の初期とルネサンスは違うから、あるいはルネサンスと近代はいる頃の王政は違うから、やはり違うものは違うのだろう。いずれにしても歴史叙述は肉眼で見た歴史、その時代の史料を眺めるというのは顕微鏡で見た歴史となるくらいならわかる。
民族移動で始まった西欧中世。古代から中世の境すらあいまいである。西村貞二氏は、その画期をアウグスティヌスの死あたりに据えている。それはちょうど古代ローマ帝国の解体期、民族移動が北アフリカまで及んだ時期でもある。このアウグスティヌスが提唱した『神の国』の理念を実現させようと奮闘して時代が中世であり、その理念の実践そのものに重大な疑念が生じたところからがルネサンス、という切り方をしている気がした。
西村氏は、美術史におけるルネサンスを、ダンテの『新生』、チマブーエとジョットーの来伊(13世紀末)からヴァザーリの『美術家伝』(1550)までとしている。実際、古代的な知見はキリスト教文化の中にあった。しかし、それを活用しようとする意志がなかっただけである。ではその意志を生み出したのは何か。イタリア諸都市の経済的活況だった。
では、経済的状況がどうしてルネサンスという運動になったのか。まず美術家に依頼する金が結構あったということ。美術家は新たなモチーフを歴史画以外のところで探そうとしたこと。古代ギリシャと古代ローマの逸話や神話が、そこに用いられたということ。それを用いたものを飾って、金持ちは何をしようとしたのか?一つは、それらが古典古代の教養の所有を示す記号だったということ。裸体を、公然と観賞できるということ。古典古代の絵解きとしての意味合いがあったこと。きっと、その辺だろう。
宗教的信心と世俗的関心の二重性が、この都市における金持ちの絵画依頼の肝にありそうだ。
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この節で、バウズマは、ラテン語とは別の地域語への意識というものを挙げている。つまり、本来はラテン語で書かれ、ラテン語で写されて、複写されていた聖書を、各国語で翻訳して、翻訳したものを活版印刷術によって複製しようという意思である。ドイツ語訳、英語訳、フランス語訳など、地域的な語によって、聖書は翻訳された。そして、それを地域語で読む、公衆が生まれたというわけである。
イタリアでも、トスカナ語が、普遍的な国語にならんとしていた。スペローネ・スペローニは、俗語を擁護した。ガリレイは、イタリア語で、宇宙論を書いた。セルバンテスもスペイン語を擁護したし、エドマンド・スペンサーも『神仙女王』を英語で書いた。
思えば、聖書は、ヘブライ語や古代ギリシャ語のラテン語訳であり、そのラテン語訳の翻訳が各国語の聖書で、日本に届いた聖書もまた、それら俗語からの翻訳に拠っている。とすれば、いったいオリジナルとは何であるか。
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なんだろう。やっぱり、日曜日のこうした日記は、どこかふわふわしている。日常的な問題があるわけではないが、問題だらけというわけでもない。特に報告するべき何かがない、ということは幸せなことかもしれない。
ちなみに小生の実家は、ここのところ、大きな地震が頻発している地域にあり、ど真ん中ではないから、そこまで慌てることでもないのだけれども、やはり、それなりに大きい地震だという。海の近くでも、崖の近くでもないから、それなりに気楽に過ごしているが、今は熊がやはり脅威らしい。
岩手山がもし噴火しても、そこまでは大丈夫ということらしい。よくわからない。