幸田露伴について、長らく読めずにいた。それは文体のせいだったかもしれないし、彼の生真面目な士大夫の感じに距離を取りたかったからかもしれない。要するに、皆から尊敬される大先生で、人格もよく、非の打ち所がない人を避ける、という心理によるものだ。生来のひねくれ、臆病、色々名前はつけられる。ただ、どうしてもレッドオーシャンで競争するということが、苦手だ。逃げるようにブルーオーシャンを探して、そこで生きていくことを選ぶのと同じように、幸田露伴が好き、と言い切れずにいた。
最初に、大学の読書会なるもので読まされたのは、幸田露伴の『幻談・観画談』(岩波文庫)だ。まだ入学したてで、全く読めなかったことを覚えている。今思えば、チョイスした先輩は、それなりに読みやすいものを選んでくれたのだろう。ページをめくると、あの時感じた思いは、全くの誤解だったことがわかる。談話調で、脱線は多いものの、物語性と知識と教訓が、均衡的に配分されている。
覚えているのは、ナレーション、というものの不思議である。何が不思議かということが全く当時はわからなかったが、近代小説において後退する語り手の存在感を、昭和戦前期に敢えて出すことの、ポジション的な独自性を、あの先輩は言いたかったのだと思う。それと同時に、語り手がいるということは、物語には常に語り手のバイアスがかかっている、ということでもある。透明に見える物語すら、それは不透明であり、作家と語り手という二重のバイアスがますます物語を複雑にしている、ことを暴露するような露伴の試みが不思議である、ということも言っていたかもしれない。
「幻談」は、ある語り手が先輩から聞いた話をする、という状況を設定する。その話をする前に、アルプス登山でウィンパーが経験した怪異のことを話す。しかるに海の怪異だが、主人公は幕末に出世の道がたたれて釣りばかりしている旗本。旗本は、知り合いの船頭に話をつけて、船を出して、釣りをするのが趣味だ。何を狙っているのか、というところで、魚の話にスライドし、延々と魚の知識が披露される。
あれ、何の話だったっけと思ったころ、ストーリーへと入っていく。
船頭の吉と一緒に二日間魚影を探してさまようも、まったく釣れない。二日目も釣れないので、モタモタしていると、日が暮れてくる。帰る途中で、竿が浮いているのをみる。近くに寄るといい竿だ。引っ張り上げようとすると、「お客さん」(水死人のこと)が握っていると言われる。いらんわ、と、戻ろうとすると、吉が、いやあこんないい竿は見たことないと未練を言う。旗本も少し惜しくなって、「お客さん」の指をはずして、持って帰る。見れば見るほどいい竿だ。さて、三日目も釣りに行こうとする。その竿を持っていくと、魚が釣れる。いい気分になって帰ろうとすると……。
という話。ネタバレはない。
他に四編。「観画談」「骨董」「魔法修行者」「盧声」。
どれも面白いが、「盧声」が好きだ。
「盧声」は、露伴らしき人物が、まだのどかだった時代の「中川べり」を、西袋(現在の八潮市)のあたりまで行って、釣りにいそしむのが日課となっていた、という報告で始まる話である。あるとき、いつもの場所に行くと、子どもが座っている。
露伴は、子どもにそこをどいてくれと頼む。なぜかというと、実はわざわざ船を出して魚が集まりそうな乱杭に釘を一本打ち込んで、あそこに竿の一部をかけて、向こう側に糸を出す。釣れても釣れなくても、あのあたりに撒き餌をして帰る。これだけやっている場所なので、教えたくはないが、どいてもらうために教えている。どうか、少しどいてくれないか、と頼む。
子どもはやや反抗的な顔をする。というのも露伴が、遊びだと決めつけたから。子どもは反抗的な態度を示し、露伴は落ち着かせるのに苦慮する。重り釣りにしないとつれないから、重りをあげる、エサもあげる、といって、子どもはやっと落ち着きを取り戻した。いったいこの子どもはなんなのだろう、と露伴は観察する。
どうも裕福な家の子ではなく、何かわけありなのだろう。竿も壊れていて、いささか役不足だ。それで露伴は、子どもにあれやこれやと聞き取る。聞き取ると、どうも継母に魚を釣ってこいと言われ、釣っていたらフナばかり。フナ以外のものを釣ってこいと言われ、ここに来たようだと推測できた。
誰に。
お母さんに。
じゃお母さんに言いつけられて釣に出ているのかい。
アア。下らなく遊んでいるよりも魚でも釣って来いってネ。僕下らなく遊んでいたんじゃない、学校の復習や宿題なんかしていたんだけど。
ここに至って合点が出来た。油然として同情心が現前の川の潮のように突掛けて来た。
ムムウ。ほんとのお母さんじゃないネ。
少年は吃驚して眼を見張って自分の顔を見た。
釣れるように願ったが、上がったのは大きなフナだった。
子どもは、色々な露伴の申し出に対して、遠慮したり、合理的な理由を述べたりして断った。その遠慮のあり方に、露伴は真実があると思って、子どもの態度に感心した。
お母さんは何時亡くなったのだい。
去年。
といった時には、その赫い頬に涙の玉が稲葉をすべる露のようにポロリと滾転し下っていた。
今のお母さんはお前をいじめるのだナ。
ナーニ、俺が馬鹿なんだ。
この子どもの態度に、露伴は打たれる。
見た訳ではないが情態は推察出来る。それだのに、ナーニ、俺が馬鹿なんだ、というこの一語でもって自分の問に答えたこの児の気の動き方というものは、何という美しさであろう、我恥ずかしい事だと、愕然として自分は大に驚いて、大鉄槌で打たれたような気がした。釣の座を譲れといって、自分がその訳を話した時に、その訳がすらりと呑込めて、素直に座を譲ってくれたのも、こういう児であったればこそと先刻の事を反顧せざるを得なくもなり、また今残り餌を川に投げる方が宜いといったこの児の語も思合されて、田野の間にもこういう性質の美を持って生れる者もあるものかと思うと、無限の感が涌起せずにはおられなかった。
露伴は残り餌を丸めてもらう対価として、釣ったセイゴを全部持って行っていいと告げた。子どもは2匹のセイゴを持って帰って行った。
それきり、子どもとは会うことはなかった。そして、その年限りで西袋の釣りはやめてしまった。その別れのシーンは、なんというか、陳腐という人もいるかもしれないが、小生にとっては感動的なものであった。
西袋の釣はその歳限りでやめた。が、今でも時々その日その場の情景を想い出す。そして現社会の何処かにその少年が既に立派な、社会に対しての理解ある紳士となって存在しているように想えてならぬのである。
なんというか、小生の親友は、父親を早くに亡くした。ちょうど、修学旅行の日に、彼が来れなかったことを想い出す。気丈な男が泣いていた。彼の泣く姿を小生は初めて見た。彼はパートで働く母について、非公式だが中学校から働いていた。川口オートだった。小生も受験の終わった中学三年生の三月に、人手が足りないということで、彼と一緒にそこで売店の売り子をした。これも非公式で。彼は大学を出た後、奈良に行き、子どもを二人もうけ、そして、ある夜バイクで転倒して、ICUに運ばれた。命はとりとめたが、頭を打っていて、話せず、病院でずっとリハビリすることになった。彼の奥さんが、小生らをあまり好きではなかったようで、連絡が途絶えた。さみしいが、仕方がない。唯一、彼とつながっている親友の一人が、連絡をとっていて、ときどき、近況を知らせてくれた。やがて、その親友も連絡がとれなくなった。
小生がなぜ、彼と連絡が取れなくなったか、よくわからない。わからないが、推測はできる。彼はおそらく小生が、彼と同情で付き合ってくれているのだ、と思っていたのだろう。小生に対して、自分の世界を生きろ、というメッセージだったのだろうと、思うようにしている。真実はわからない。
ただ、露伴が西袋での釣りをやめながら、子どもの立身を思う気持ちはなんとなくわかる。