光朗(ミツルー)の日記

窓際社員のミツルーです。読書かと思えば最近は本当に日記です。

ブログのリハビリ 書けないときに無理に書く

しばらく、何も書けないでいた。

 

いや、複数のブログアカウントに、一冊読んだら、それぞれ違う感想を書く、という修行を3日やったら、挫折してしまったというだけなのだけれども。

 

基本的に、一冊ないし一章読んで、真逆の立場から書けるということはほとんどないので、似たようなものが3本出来上がるだけなのだけれども、一度書ききったものを再度少し読者層に合わせてミキシングしようとすると、身体に悪いことがわかった。

 

例えば、夏目漱石の『三四郎』である。

 

小生は、あらすじをまとめる癖があるから、それは3つ共通になるはずなのに、話のトーンによって、同じあらすじを転用できない、と感じるときがあって、書き直す。この作業が猛烈に大変だった。

 

とりあえず、今日はリハビリでこれだけ。

露伴の「盧声」と、小生のこと

幸田露伴について、長らく読めずにいた。それは文体のせいだったかもしれないし、彼の生真面目な士大夫の感じに距離を取りたかったからかもしれない。要するに、皆から尊敬される大先生で、人格もよく、非の打ち所がない人を避ける、という心理によるものだ。生来のひねくれ、臆病、色々名前はつけられる。ただ、どうしてもレッドオーシャンで競争するということが、苦手だ。逃げるようにブルーオーシャンを探して、そこで生きていくことを選ぶのと同じように、幸田露伴が好き、と言い切れずにいた。

 

最初に、大学の読書会なるもので読まされたのは、幸田露伴の『幻談・観画談』(岩波文庫)だ。まだ入学したてで、全く読めなかったことを覚えている。今思えば、チョイスした先輩は、それなりに読みやすいものを選んでくれたのだろう。ページをめくると、あの時感じた思いは、全くの誤解だったことがわかる。談話調で、脱線は多いものの、物語性と知識と教訓が、均衡的に配分されている。

 

覚えているのは、ナレーション、というものの不思議である。何が不思議かということが全く当時はわからなかったが、近代小説において後退する語り手の存在感を、昭和戦前期に敢えて出すことの、ポジション的な独自性を、あの先輩は言いたかったのだと思う。それと同時に、語り手がいるということは、物語には常に語り手のバイアスがかかっている、ということでもある。透明に見える物語すら、それは不透明であり、作家と語り手という二重のバイアスがますます物語を複雑にしている、ことを暴露するような露伴の試みが不思議である、ということも言っていたかもしれない。

 

「幻談」は、ある語り手が先輩から聞いた話をする、という状況を設定する。その話をする前に、アルプス登山でウィンパーが経験した怪異のことを話す。しかるに海の怪異だが、主人公は幕末に出世の道がたたれて釣りばかりしている旗本。旗本は、知り合いの船頭に話をつけて、船を出して、釣りをするのが趣味だ。何を狙っているのか、というところで、魚の話にスライドし、延々と魚の知識が披露される。

 

あれ、何の話だったっけと思ったころ、ストーリーへと入っていく。

 

船頭の吉と一緒に二日間魚影を探してさまようも、まったく釣れない。二日目も釣れないので、モタモタしていると、日が暮れてくる。帰る途中で、竿が浮いているのをみる。近くに寄るといい竿だ。引っ張り上げようとすると、「お客さん」(水死人のこと)が握っていると言われる。いらんわ、と、戻ろうとすると、吉が、いやあこんないい竿は見たことないと未練を言う。旗本も少し惜しくなって、「お客さん」の指をはずして、持って帰る。見れば見るほどいい竿だ。さて、三日目も釣りに行こうとする。その竿を持っていくと、魚が釣れる。いい気分になって帰ろうとすると……。

 

という話。ネタバレはない。

 

他に四編。「観画談」「骨董」「魔法修行者」「盧声」。

どれも面白いが、「盧声」が好きだ。

 

「盧声」は、露伴らしき人物が、まだのどかだった時代の「中川べり」を、西袋(現在の八潮市)のあたりまで行って、釣りにいそしむのが日課となっていた、という報告で始まる話である。あるとき、いつもの場所に行くと、子どもが座っている。

 

露伴は、子どもにそこをどいてくれと頼む。なぜかというと、実はわざわざ船を出して魚が集まりそうな乱杭に釘を一本打ち込んで、あそこに竿の一部をかけて、向こう側に糸を出す。釣れても釣れなくても、あのあたりに撒き餌をして帰る。これだけやっている場所なので、教えたくはないが、どいてもらうために教えている。どうか、少しどいてくれないか、と頼む。

 

子どもはやや反抗的な顔をする。というのも露伴が、遊びだと決めつけたから。子どもは反抗的な態度を示し、露伴は落ち着かせるのに苦慮する。重り釣りにしないとつれないから、重りをあげる、エサもあげる、といって、子どもはやっと落ち着きを取り戻した。いったいこの子どもはなんなのだろう、と露伴は観察する。

 

どうも裕福な家の子ではなく、何かわけありなのだろう。竿も壊れていて、いささか役不足だ。それで露伴は、子どもにあれやこれやと聞き取る。聞き取ると、どうも継母に魚を釣ってこいと言われ、釣っていたらフナばかり。フナ以外のものを釣ってこいと言われ、ここに来たようだと推測できた。

 

誰に。

お母さんに。

じゃお母さんに言いつけられて釣に出ているのかい。

アア。下らなく遊んでいるよりも魚でも釣って来いってネ。僕下らなく遊んでいたんじゃない、学校の復習や宿題なんかしていたんだけど。

ここに至って合点が出来た。油然として同情心が現前の川の潮のように突掛けて来た。

ムムウ。ほんとのお母さんじゃないネ。

少年は吃驚して眼を見張って自分の顔を見た。

 

釣れるように願ったが、上がったのは大きなフナだった。

子どもは、色々な露伴の申し出に対して、遠慮したり、合理的な理由を述べたりして断った。その遠慮のあり方に、露伴は真実があると思って、子どもの態度に感心した。

 

お母さんは何時亡くなったのだい。

去年。

といった時には、その赫い頬に涙の玉が稲葉をすべる露のようにポロリと滾転し下っていた。

今のお母さんはお前をいじめるのだナ。

ナーニ、俺が馬鹿なんだ。

 

この子どもの態度に、露伴は打たれる。

 

見た訳ではないが情態は推察出来る。それだのに、ナーニ、俺が馬鹿なんだ、というこの一語でもって自分の問に答えたこの児の気の動き方というものは、何という美しさであろう、我恥ずかしい事だと、愕然として自分は大に驚いて、大鉄槌で打たれたような気がした。釣の座を譲れといって、自分がその訳を話した時に、その訳がすらりと呑込めて、素直に座を譲ってくれたのも、こういう児であったればこそと先刻の事を反顧せざるを得なくもなり、また今残り餌を川に投げる方が宜いといったこの児の語も思合されて、田野の間にもこういう性質の美を持って生れる者もあるものかと思うと、無限の感が涌起せずにはおられなかった。

 

露伴は残り餌を丸めてもらう対価として、釣ったセイゴを全部持って行っていいと告げた。子どもは2匹のセイゴを持って帰って行った。

 

それきり、子どもとは会うことはなかった。そして、その年限りで西袋の釣りはやめてしまった。その別れのシーンは、なんというか、陳腐という人もいるかもしれないが、小生にとっては感動的なものであった。

 

西袋の釣はその歳限りでやめた。が、今でも時々その日その場の情景を想い出す。そして現社会の何処かにその少年が既に立派な、社会に対しての理解ある紳士となって存在しているように想えてならぬのである。

 

なんというか、小生の親友は、父親を早くに亡くした。ちょうど、修学旅行の日に、彼が来れなかったことを想い出す。気丈な男が泣いていた。彼の泣く姿を小生は初めて見た。彼はパートで働く母について、非公式だが中学校から働いていた。川口オートだった。小生も受験の終わった中学三年生の三月に、人手が足りないということで、彼と一緒にそこで売店の売り子をした。これも非公式で。彼は大学を出た後、奈良に行き、子どもを二人もうけ、そして、ある夜バイクで転倒して、ICUに運ばれた。命はとりとめたが、頭を打っていて、話せず、病院でずっとリハビリすることになった。彼の奥さんが、小生らをあまり好きではなかったようで、連絡が途絶えた。さみしいが、仕方がない。唯一、彼とつながっている親友の一人が、連絡をとっていて、ときどき、近況を知らせてくれた。やがて、その親友も連絡がとれなくなった。

 

小生がなぜ、彼と連絡が取れなくなったか、よくわからない。わからないが、推測はできる。彼はおそらく小生が、彼と同情で付き合ってくれているのだ、と思っていたのだろう。小生に対して、自分の世界を生きろ、というメッセージだったのだろうと、思うようにしている。真実はわからない。

 

ただ、露伴が西袋での釣りをやめながら、子どもの立身を思う気持ちはなんとなくわかる。

志賀マジック ~晩年の短編~

志賀直哉全集を持っている。しかも、一番新しい岩波書店版。これは、今の50代にしては珍しいことかもしれない。しかし、これは買ったものではない。とある人が場所がないので「捨てる」というので、もらい受けてきたものだ。汚くはない。あまり開いていなかったのだと知れる。箱もない。付録もない。おそらく彼も何らかの形で引き取ってきたものなのかもしれない。その来歴はわからない。でも、今、我が家にある。

 

全集がありながら、新潮文庫のシリーズも持っている。むしろこちらが先にあったものだ。『和解』『暗夜行路』『小僧の神様・城の崎にて』『清兵衛と瓢箪・網走まで』。その辺まではなんとなくみんな持っている。しかし、もう一つある。『灰色の月・万暦赤絵』だ。持っていたはずなのに、どこかにいったもの。買い直した。

 

この後期志賀ともいえる文筆集は、志賀の感覚からいうと、小説ではない、らしい。だから、どこから読んでも、何とかなる作品集であり、ストーリーがないから、感想も書きづらい。ふーん、で?くらいのものであるし、自己の小説家としての核が固まり切ってしまったことを自覚したあとの志賀の生について知ることができるという意味で、面白いともいえる。

 

例えば、戦後初の作品ともいえる「灰色の月」は、戦後すぐの山手線に乗っていた志賀が見た、16歳くらいの少年工の姿である。眠そうなのか、椅子に座って、こっくりこっくりしている。少年工を眺めて、乗客たちはいろいろと言いたいことを言っている。車内の空気は、快活になった。ただ、そんな折、少年工に声をかけた人がいる。「どこまでいくんだ?」、寝ぼけたままの少年工は「上野まで」と言って、今電車は、浜松町を過ぎて、品川へ進んでいるので、「逆に乗っちゃったよ」というと、少年工は「渋谷から乗ったんだ」という。みんなは「じゃあ一周したんじゃねえか」と言い、「どうでもいいや」と少年工はいう。その投げやりな感じの言葉が、志賀の頭に残った、という。

 

タイトルの「灰色の月」は、電車に乗り込む前、その少年工の姿を認識する前の東京駅でみた月の様子であった。

 

だから何かというわけでもない。

 

この時、志賀は62歳。ある意味で、戦後占領期という混沌のさなかにみた一ページを切り取っただけの文章である。とはいえ、みな、混沌のさなかに、こうした立ち止まりを経験するだろうか。志賀はさらに、少年工が寄っかかってきたときに、(たぶん)いやだなと思って突き飛ばし、その体の軽さに驚いている。志賀はときどき、こういう、人情味のないと言われかねないことをする。志賀が、少年の言葉に何を思ったのかの説明はない。この説明がない、ところが、志賀の志賀たるゆえんだと思う。

 

この説明のなさは、いやらしいと思う。それを坂口安吾も批判していたのだろう。ただ、それでもなお、志賀がみたものを推測したい、言葉にしてみたいという誘惑も同時に生じる。

 

例えば、「山鳩」という短い文章がある。

 

これも小説でも何でもないものだが、志賀が二羽の山鳩が飛んでいくのをみて、ほほえましく思った後に、

 

鳥獣の狩人でもある福田君という人が来て、撃った鳥の数種を持ってきて、志賀が喜ぶ。この、鳥を愛でつつ、鳥に舌鼓を打つ、サイコっぷりも見ものだが、

 

そのうち、山鳩の片方がいなくなって、一匹だけになり、また二匹現れたので再婚したのかなと思ったら、

 

一匹の山鳩は相変わらず一匹のままなので、もしかしたらあの鳩のつがいを撃って食ったのは福田君と志賀自身だったのかと後悔して、

 

福田君に「今年はこの辺では撃たないでもらおうかな」と事情を話したら、

 

「そんなに気になるなら、もう一匹も始末しますよ」と言われて、ううむと思ったみたいな話。

 

サイコの志賀よりももっとサイコな福田君が印象的な掌編だけれども、この身辺観察に何か深い人生の真実がありそうな気がしてしまうのが、志賀マジックだろうと思う。

 

『灰色の月・万暦赤絵』は、そういう意味で、志賀が言葉にならない真実を事象の中に観察して、小説に仕立てないまま、ゴロリと投げ出した、素材だけのものなのに、それでもなおそこに何か人生の真実があるような気にさせる文章がならぶ、稀有な書籍である。

後藤明生『首塚の上のアドバルーン』「分身」

個人的に『グレート・ギャツビー』は、何度も読み返しても、ピンとこない小説だ。いや、スコット・フィッツジェラルドの作品全体が、ピンとこない。『夜はやさし』という自伝的小説は、まあまあ面白かったが、それはゴシップ的な関心を満足できたからである。そもそも、金持ちが没落したところで、それが何か?みたいな気持ちになるからだろうと思う。小説の登場人物は言葉をうまく使いこなし、思考も高校生だったりするのに巧みであったりする。だから、そこそこ教育程度の高かろう人物であり、そんな連中の枕草子なんか、どうでもいいよ、と思うから、小説が読まれないのかもしれない。

 

一方で、村上春樹の新刊を、並んでまで買おうとするのはなんでだろう。『海辺のカフカ』は面白かったが、村上がフィッツジェラルドにかける思いの質も量もしっくりこない。そもそもアメリカ文学に対する彼の思いが、やっぱりわからないのかもしれない。何を言いたいか、小生自身もわからなくなっているのだけれども、まとめると、

 

村上春樹を手放しで面白いとは言えない。

それは小生がフィッツジェラルドを読めない、というところに根源がある気がする。

小生が読めないフィッツジェラルドを村上は読める。

その部分が、村上の小説に核としてあり、それを小生は読めないから、手放しで面白がれない。

それは村上がダメ、小生がバカ、ということではなくて、究極何かが違うんだと思う。

小生がバカである可能性の方が高いが。

でも村上が持ち上げるカラマーゾフの兄弟は読めたし、これはやはり素晴らしい小説だと思った。

そこはある程度同期できる。

おそらくフィッツジェラルドに、どこか秘密があるんだと思う。

 

ということだ。

 

で、後藤明生の『首塚の上のアドバルーン』の「分身」の章である。

 

幕張に引っ越し、編集者と談話する中で、馬加康胤の首塚のあるこんもりとした丘を見つけた作家。それを探求しようとする最中、多忙と、手術とで、首塚のことに関われずにいた。身体が拘束されていても、首塚についての思いは飛び、『平家物語』の首級、『太平記』の首、平家を変形した高山樗牛の「滝口入道」のこと、以前に偶然見つけた新田義貞の首塚、その隣にあった滝口寺のエピソード、話は飛びに飛び、再び『太平記』の世界に戻ってくる。

 

それが「分身」の章までの前段になる。ここでは、二条河原の落書に思いを馳せ、『太平記』の作者についての考察を進める中で、法師は複数いたのではないか、という仮説の面白さと、作者が複数いることで物語が豊穣化することを述べ、そこから、塩冶判官と高師直、そして、高師直のもとに出入りして、ニセ艶書を作った兼好法師の話へ移り、その塩冶判官の首からは血が出る、という話をする。へー、とは思うが、一向に、幕張の首塚には行きつかずに、終わる。

 

いや、それはもう感想というよりも、こういうのがあんまり響かない人も多かろうという話。

 

歴史系だと、自分が立てた問いに解答するダイレクトな史料なんかなくて、問いに近似する史料をもとに推測して、もっとも可能性の高そうな説明なり、叙述なりを行うから、後藤明生がやってる動きが、歴史事象の事実性を追っている時の思考のようで面白い。だから、面白がれる。

 

村上がやっている自己の内側に折り重なっていくような思索。ストーリーの中に典型的に出てくる不思議設定と性行為。こういうパーツの組み合わせからどうしてフィッツジェラルドなのかが、やっぱりわからない。もちろん大作家だから、フィッツジェラルドを模倣するわけではなく、そこからスタートしたのだと、言うのだろうけれども。

 

 

サッカー・ラテン語・いじめの顛々 〜ウィリアム・バウズマ『ルネサンスの秋』4-2「ラテン語の重み」〜

昨日は誤って、サッカー中に目覚めてしまった。見ると翌日に響いてしまうから、再度眠りにつこうとした。しかし、経過が気になって、眠れない。確認した。先取点を取っていた。安心して眠ろうとした。しかし、興奮して眠れない。悶々として、再度見た。同点に追いつかれていた。心配で眠れない。頭の中で、ゲームが繰り広げられている。しばらくして、再度見た。まだ同点だ。「延長戦かな、寝よう」と、自分に言い聞かせたが、トイレに行ったり、ネットニュースを見たりしているうちに、いつしか、アディショナルタイムくらいになっていた。外も少し白くなっている。確認した。同点だった。やっぱり、延長に入るか。経過をテキストでみると、主力がディフェンシブに交替されていた。そういうもんか、と思って目を瞑った。次に、開いたのは、おそらく延長線だったら開始されているかもしれない時間。前の画面が残っていたので1対1のままだった。下にフィードして、更新した。1の数字が2に変化して「試合終了」となっていた。えっ。そのまま興奮して眠ることができず、結果、見てもいないのに、寝不足のまま、外に出た。

 

案の定、響いた。何も、読めない。考えられない。バイブコーディングすらままならない。よる年波とはこういうことか、と情けなく思った。かつては、子どもが熱を出した夜、父母を新潟まで迎えに行って、朝つれてきて、そのまま出勤しても、それなりに機能した。酒を飲みながら、ブログを書いても、それなりに筆が進んだ。酒を飲んで読書ができた。ただ、それを覚えているかというと心許ないが。

 

 

この節は、前節で述べたように、俗語の進展が確認できながらも図書館においてはまだラテン語による筆記が権威として通用していた、ということが言いたいらしい。

 

今でいうところの、ガラケーとスマホの交代劇、ネット書籍とリアル書籍の交代劇、文化が交替する局面だと言える。政治的な日付と異なり、文化史的な変動は中期に渡るので、交替の様相が分かりづらい。地域差、世代差、階級差、男女差、などが顕著だ。また、それら新しい文化が再生産されるかどうか、というのもある。都会から地方へとか、若者から大人へという一つの軸での伝播経路なら分かりやすいが、これが交差してくると、把握はなかなか難しい。

 

 

最後の年度の第一回目の保護者会。この学年には、いじめ事件が生じた。当事者間から小生は程遠く、また聞き程度の知識しか持たないが、なかなか厄介な事象のようだ。去年の話とは違い、深刻な問題で、トップがこの時期に交替した。どうも、それぞれの学年に、厄介な子どもと家庭があるようだ。偏見ではあるが、傾向として、やはりそこはセットで考えざるを得ないだろう。一方で、PTA会長の子どもも授業中に出歩いて、優雅におしゃべりなどを楽しむ光景が見られるようなのだが、まあ政権末期はどうしても緩むということなのだろうか。それとも彼としても老いたのか。高齢だと、どうしても管理が行き届かなくなるのは、小生も同じ経験をしているので致し方ないが、彼と実際に接してみると、ちょっと違和感を感じるので、会長職も義侠心というよりも、それによる実績作りということもあるだろう。あるいは、本当に、この活動が好きだという。まあでも、私的な理由で始めたにしてもなんだかんだと続けて、トラブルもそこまで多くなかったと思うので、功罪は功の方が多く見えているのだろう。

 

いじめ事件の後始末は結局、解決には至っていない。クシャクシャになった紙を伸ばしても、シワは無くならない、というものだろう。クシャクシャにする前に、その兆候を見なきゃいけないはずだが、まあ、自分を振り返っても完璧は無理だろう。ただ、もしかするとかつては親がある程度その問題を引き受けようという傾向があったからなんとか保たれていたのかもしれないが、今は、その問題を引き受ける親が、特に加害者の方にあんまりなくなっているのかもしれない。割合が、である。今回は、加害者の保護者のお友達という人がずいぶんとしゃしゃり出てきていて、そのため板挟みになって、辞めてしまったというわけだろう。

 

加害の程度。どちらが先に加害したか。不登校の動機。において色々と議論があるらしい。まず、いじめ行為は先にそっちが、と双方言っているらしい。被害者における加害行為というのは、突発的な暴力のようだが。これが、時々あって、やられた方は、組織的にそれに対処しようとした。防衛の結果、それが攻撃的に機能した。それを受けて、不登校が開始された。親が学校の管理責任を問い詰めようとする。繰り返し、訪問とクレームが続く。これは多くの第三者が目撃、聴取していたことでもある。環境を整えて、さあ登校、という状況になっても登校が開始されない。しかし、親が仕事に行った時、公園とかで遊んでいるともいう。ぶらぶらと外出ことも多いらしい。それは困るので、親としては言って欲しい。しかし、行こうとしない。不登校の動機には、違うものがあるのかもしれないと疑念は湧くが、理由は、そうした環境要因だと言われてしまうから、親も学校になんやかやと言わねばならない。学校もそれなりに反対を押し切って対処した。それはわかる。そのことに、加害者の保護者のお友達の保護者が憤慨しているのも知っている。しかし、登校は最初だけで、再び不登校が始まったらしい。これはなかなか苦しい問題である。教育委員会にまで行った問題らしいが、その深刻さは事件の周縁にいる小生なんかには伝わってこない。性別も違うし、波及しづらいだろう。しかし、それでも、この程度のことが漏れ聞こえているということについても、重大さが推測される。

 

先生の組織変化を見ても、ああ、というのはある。かつての担任の先生は、専科になったけれども、それは労働緩和か、それとも、左遷か。かつての担任の先生は違う学校に出て行ったけれども、それも何か意図があるのか。なんとなく、状況の苦しさは推測できる。それら全てが、この最終学年に蓄積した澱のようなものだ。上の子の時は、多少の諍いはあったけれども、組織的・陰湿的なものは、そこまで漏れ聞こえてはこなかった。なんというか、学年によって、随分と違いがあるということを感じたし、クリティカルな数人が、雰囲気を決めてしまう、ということも理解した。そういう澱を全身で感じてこようと思う。今日はそういう日だ。

 

 

 

ルネサンス・各国語の発展・地震 ~ウィリアム・バウズマ『ルネサンスの秋』4俗語の発展 1「俗語使用の拡大」~

今、何を書けばいいのか。あんまり思いつかない。ルネサンスのことを書くのだからルネサンスについて知ってることを書こうと思うのだけれども、生きていたわけじゃないから、パッと思いつかない。普通のことである。

 

ルネサンスについて一通りを復習しようと思って、西村貞二『ルネサンスと宗教改革』という本があったから、読んでみたら、まとめづらかった。というのも、多数の史料をみて、それらを綜合した記述となるので、すでにまとまっている。まとまっているものを圧縮するのは簡単ではない。

 

中世もルネサンスも王政も、存外明確に線引きできるものではない、ということだけがわかる。でも線は時代区分というかたちで引いてあるではないか、とこちらは思うが、細かく見ていくとそうではないと言われるので、どちらなんだよと思う。

 

それでもやはり中世の初期とルネサンスは違うから、あるいはルネサンスと近代はいる頃の王政は違うから、やはり違うものは違うのだろう。いずれにしても歴史叙述は肉眼で見た歴史、その時代の史料を眺めるというのは顕微鏡で見た歴史となるくらいならわかる。

 

民族移動で始まった西欧中世。古代から中世の境すらあいまいである。西村貞二氏は、その画期をアウグスティヌスの死あたりに据えている。それはちょうど古代ローマ帝国の解体期、民族移動が北アフリカまで及んだ時期でもある。このアウグスティヌスが提唱した『神の国』の理念を実現させようと奮闘して時代が中世であり、その理念の実践そのものに重大な疑念が生じたところからがルネサンス、という切り方をしている気がした。

 

西村氏は、美術史におけるルネサンスを、ダンテの『新生』、チマブーエとジョットーの来伊(13世紀末)からヴァザーリの『美術家伝』(1550)までとしている。実際、古代的な知見はキリスト教文化の中にあった。しかし、それを活用しようとする意志がなかっただけである。ではその意志を生み出したのは何か。イタリア諸都市の経済的活況だった。

 

では、経済的状況がどうしてルネサンスという運動になったのか。まず美術家に依頼する金が結構あったということ。美術家は新たなモチーフを歴史画以外のところで探そうとしたこと。古代ギリシャと古代ローマの逸話や神話が、そこに用いられたということ。それを用いたものを飾って、金持ちは何をしようとしたのか?一つは、それらが古典古代の教養の所有を示す記号だったということ。裸体を、公然と観賞できるということ。古典古代の絵解きとしての意味合いがあったこと。きっと、その辺だろう。

 

宗教的信心と世俗的関心の二重性が、この都市における金持ちの絵画依頼の肝にありそうだ。

 

 

この節で、バウズマは、ラテン語とは別の地域語への意識というものを挙げている。つまり、本来はラテン語で書かれ、ラテン語で写されて、複写されていた聖書を、各国語で翻訳して、翻訳したものを活版印刷術によって複製しようという意思である。ドイツ語訳、英語訳、フランス語訳など、地域的な語によって、聖書は翻訳された。そして、それを地域語で読む、公衆が生まれたというわけである。

 

イタリアでも、トスカナ語が、普遍的な国語にならんとしていた。スペローネ・スペローニは、俗語を擁護した。ガリレイは、イタリア語で、宇宙論を書いた。セルバンテスもスペイン語を擁護したし、エドマンド・スペンサーも『神仙女王』を英語で書いた。

 

思えば、聖書は、ヘブライ語や古代ギリシャ語のラテン語訳であり、そのラテン語訳の翻訳が各国語の聖書で、日本に届いた聖書もまた、それら俗語からの翻訳に拠っている。とすれば、いったいオリジナルとは何であるか。

 

 

なんだろう。やっぱり、日曜日のこうした日記は、どこかふわふわしている。日常的な問題があるわけではないが、問題だらけというわけでもない。特に報告するべき何かがない、ということは幸せなことかもしれない。

 

ちなみに小生の実家は、ここのところ、大きな地震が頻発している地域にあり、ど真ん中ではないから、そこまで慌てることでもないのだけれども、やはり、それなりに大きい地震だという。海の近くでも、崖の近くでもないから、それなりに気楽に過ごしているが、今は熊がやはり脅威らしい。

 

岩手山がもし噴火しても、そこまでは大丈夫ということらしい。よくわからない。

後藤明生『首塚の上のアドバルーン』「平家の首」

Amazonプライムのビデオで古川日出男の「平家物語」を見ようと思ったら、一話しかタダで見られなかった。タダより高いものはない、というけれども、こんなに見たいのなら、課金すべきかどうか迷う。でも『平家物語』だから、なんだかんだと結末は知っているので、別にネタバレを期待しているわけではない。そもそも『平家物語』にネタバレが〜とか言う人がいるのか。もしかしたら、ケーキを切れない世代だから(大袈裟)、『平家物語』の結末を知らない人もいるのかもしれない。

 

とはいえ、我々世代も『分数ができない大学生』と、本気で心配された世代である。あれの新版の文庫が出てきたので、刊行年を見たら、単行本は1999年だった。ど真ん中じゃないか。ロスジェネだって、分数ができない大学生と言われたんだから、その子どもたちがケーキを切れなくても、『平家物語』の結末を知らなくても、モウマンタイじゃないか。分数もできない大学生が、やれ、俺たちの世代はとかなんとか言っても、ノーダメージだろう。もちろん、それは結局、社会の一部分だということに過ぎない。いや、さすがに分数はできるだろ。

 

 

病院に入院した作家。食道の腫瘍の手術を受ける。麻酔から目覚めて、自分を顧みると、様々な管が繋がれている。そして、自分の首にネックレスのような縫い跡が見える。それを見ていたら、なんだか、『平家物語』の首の不思議さが、感じられてきた。その首からはどうしてか血の匂いがしない。流血の描写がほとんどと言っていいほどないのだ。

 

作家は、とにかく、首にまつわる様々なエピソードや、平家方の将の最期を様々に引用する。どれもこれも、どこか戯画的で、不思議と静謐な空気感があると言うのだ。特に齋藤別当実盛のエピソードである。老将実盛は、木曾義仲を迎えるにあたって、派手な甲冑を着ていっていいか、と願い出、認められた。越前の故郷に錦を飾るつもりで、義仲を迎え撃つ。そこで、若者と組み討ち、首を取られる場面でも不思議と流血しない。

 

これは義仲もそうであり、かなり卑怯な形で首を取られた越中前司盛俊もそうだ。盛俊に至っては、一度相手に勝って、首を取ろうとしたら、平家が負けた時にお主を救ってやろうと持ちかけられ、緩めたところをやられるという始末だが、ここでも血は出ない。

 

『平家物語』は血の描写のない静謐な世界である、ということらしい。

 

 

今日のニュースで4月5日に福田章二さん、つまり、作家・庄司薫が亡くなっていたということを聞いた。そんな気がしていた。だから、全部揃えた。これから全集や、ノートのようなものが出てくるのかもしれない。あるいは発行されていない小説とか。

 

全部、読もうと思っていたが、『さよなら怪傑黒頭巾』の途中で止まっている。

 

さよなら、黒頭巾。

 

ほんとうに、さようなら。