光朗(ミツルー)の日記

窓際社員のミツルーです。読書かと思えば最近は本当に日記です。

後藤明生『首塚の上のアドバルーン』「分身」

個人的に『グレート・ギャツビー』は、何度も読み返しても、ピンとこない小説だ。いや、スコット・フィッツジェラルドの作品全体が、ピンとこない。『夜はやさし』という自伝的小説は、まあまあ面白かったが、それはゴシップ的な関心を満足できたからである。そもそも、金持ちが没落したところで、それが何か?みたいな気持ちになるからだろうと思う。小説の登場人物は言葉をうまく使いこなし、思考も高校生だったりするのに巧みであったりする。だから、そこそこ教育程度の高かろう人物であり、そんな連中の枕草子なんか、どうでもいいよ、と思うから、小説が読まれないのかもしれない。

 

一方で、村上春樹の新刊を、並んでまで買おうとするのはなんでだろう。『海辺のカフカ』は面白かったが、村上がフィッツジェラルドにかける思いの質も量もしっくりこない。そもそもアメリカ文学に対する彼の思いが、やっぱりわからないのかもしれない。何を言いたいか、小生自身もわからなくなっているのだけれども、まとめると、

 

村上春樹を手放しで面白いとは言えない。

それは小生がフィッツジェラルドを読めない、というところに根源がある気がする。

小生が読めないフィッツジェラルドを村上は読める。

その部分が、村上の小説に核としてあり、それを小生は読めないから、手放しで面白がれない。

それは村上がダメ、小生がバカ、ということではなくて、究極何かが違うんだと思う。

小生がバカである可能性の方が高いが。

でも村上が持ち上げるカラマーゾフの兄弟は読めたし、これはやはり素晴らしい小説だと思った。

そこはある程度同期できる。

おそらくフィッツジェラルドに、どこか秘密があるんだと思う。

 

ということだ。

 

で、後藤明生の『首塚の上のアドバルーン』の「分身」の章である。

 

幕張に引っ越し、編集者と談話する中で、馬加康胤の首塚のあるこんもりとした丘を見つけた作家。それを探求しようとする最中、多忙と、手術とで、首塚のことに関われずにいた。身体が拘束されていても、首塚についての思いは飛び、『平家物語』の首級、『太平記』の首、平家を変形した高山樗牛の「滝口入道」のこと、以前に偶然見つけた新田義貞の首塚、その隣にあった滝口寺のエピソード、話は飛びに飛び、再び『太平記』の世界に戻ってくる。

 

それが「分身」の章までの前段になる。ここでは、二条河原の落書に思いを馳せ、『太平記』の作者についての考察を進める中で、法師は複数いたのではないか、という仮説の面白さと、作者が複数いることで物語が豊穣化することを述べ、そこから、塩冶判官と高師直、そして、高師直のもとに出入りして、ニセ艶書を作った兼好法師の話へ移り、その塩冶判官の首からは血が出る、という話をする。へー、とは思うが、一向に、幕張の首塚には行きつかずに、終わる。

 

いや、それはもう感想というよりも、こういうのがあんまり響かない人も多かろうという話。

 

歴史系だと、自分が立てた問いに解答するダイレクトな史料なんかなくて、問いに近似する史料をもとに推測して、もっとも可能性の高そうな説明なり、叙述なりを行うから、後藤明生がやってる動きが、歴史事象の事実性を追っている時の思考のようで面白い。だから、面白がれる。

 

村上がやっている自己の内側に折り重なっていくような思索。ストーリーの中に典型的に出てくる不思議設定と性行為。こういうパーツの組み合わせからどうしてフィッツジェラルドなのかが、やっぱりわからない。もちろん大作家だから、フィッツジェラルドを模倣するわけではなく、そこからスタートしたのだと、言うのだろうけれども。

 

 

サッカー・ラテン語・いじめの顛々 〜ウィリアム・バウズマ『ルネサンスの秋』4-2「ラテン語の重み」〜

昨日は誤って、サッカー中に目覚めてしまった。見ると翌日に響いてしまうから、再度眠りにつこうとした。しかし、経過が気になって、眠れない。確認した。先取点を取っていた。安心して眠ろうとした。しかし、興奮して眠れない。悶々として、再度見た。同点に追いつかれていた。心配で眠れない。頭の中で、ゲームが繰り広げられている。しばらくして、再度見た。まだ同点だ。「延長戦かな、寝よう」と、自分に言い聞かせたが、トイレに行ったり、ネットニュースを見たりしているうちに、いつしか、アディショナルタイムくらいになっていた。外も少し白くなっている。確認した。同点だった。やっぱり、延長に入るか。経過をテキストでみると、主力がディフェンシブに交替されていた。そういうもんか、と思って目を瞑った。次に、開いたのは、おそらく延長線だったら開始されているかもしれない時間。前の画面が残っていたので1対1のままだった。下にフィードして、更新した。1の数字が2に変化して「試合終了」となっていた。えっ。そのまま興奮して眠ることができず、結果、見てもいないのに、寝不足のまま、外に出た。

 

案の定、響いた。何も、読めない。考えられない。バイブコーディングすらままならない。よる年波とはこういうことか、と情けなく思った。かつては、子どもが熱を出した夜、父母を新潟まで迎えに行って、朝つれてきて、そのまま出勤しても、それなりに機能した。酒を飲みながら、ブログを書いても、それなりに筆が進んだ。酒を飲んで読書ができた。ただ、それを覚えているかというと心許ないが。

 

 

この節は、前節で述べたように、俗語の進展が確認できながらも図書館においてはまだラテン語による筆記が権威として通用していた、ということが言いたいらしい。

 

今でいうところの、ガラケーとスマホの交代劇、ネット書籍とリアル書籍の交代劇、文化が交替する局面だと言える。政治的な日付と異なり、文化史的な変動は中期に渡るので、交替の様相が分かりづらい。地域差、世代差、階級差、男女差、などが顕著だ。また、それら新しい文化が再生産されるかどうか、というのもある。都会から地方へとか、若者から大人へという一つの軸での伝播経路なら分かりやすいが、これが交差してくると、把握はなかなか難しい。

 

 

最後の年度の第一回目の保護者会。この学年には、いじめ事件が生じた。当事者間から小生は程遠く、また聞き程度の知識しか持たないが、なかなか厄介な事象のようだ。去年の話とは違い、深刻な問題で、トップがこの時期に交替した。どうも、それぞれの学年に、厄介な子どもと家庭があるようだ。偏見ではあるが、傾向として、やはりそこはセットで考えざるを得ないだろう。一方で、PTA会長の子どもも授業中に出歩いて、優雅におしゃべりなどを楽しむ光景が見られるようなのだが、まあ政権末期はどうしても緩むということなのだろうか。それとも彼としても老いたのか。高齢だと、どうしても管理が行き届かなくなるのは、小生も同じ経験をしているので致し方ないが、彼と実際に接してみると、ちょっと違和感を感じるので、会長職も義侠心というよりも、それによる実績作りということもあるだろう。あるいは、本当に、この活動が好きだという。まあでも、私的な理由で始めたにしてもなんだかんだと続けて、トラブルもそこまで多くなかったと思うので、功罪は功の方が多く見えているのだろう。

 

いじめ事件の後始末は結局、解決には至っていない。クシャクシャになった紙を伸ばしても、シワは無くならない、というものだろう。クシャクシャにする前に、その兆候を見なきゃいけないはずだが、まあ、自分を振り返っても完璧は無理だろう。ただ、もしかするとかつては親がある程度その問題を引き受けようという傾向があったからなんとか保たれていたのかもしれないが、今は、その問題を引き受ける親が、特に加害者の方にあんまりなくなっているのかもしれない。割合が、である。今回は、加害者の保護者のお友達という人がずいぶんとしゃしゃり出てきていて、そのため板挟みになって、辞めてしまったというわけだろう。

 

加害の程度。どちらが先に加害したか。不登校の動機。において色々と議論があるらしい。まず、いじめ行為は先にそっちが、と双方言っているらしい。被害者における加害行為というのは、突発的な暴力のようだが。これが、時々あって、やられた方は、組織的にそれに対処しようとした。防衛の結果、それが攻撃的に機能した。それを受けて、不登校が開始された。親が学校の管理責任を問い詰めようとする。繰り返し、訪問とクレームが続く。これは多くの第三者が目撃、聴取していたことでもある。環境を整えて、さあ登校、という状況になっても登校が開始されない。しかし、親が仕事に行った時、公園とかで遊んでいるともいう。ぶらぶらと外出ことも多いらしい。それは困るので、親としては言って欲しい。しかし、行こうとしない。不登校の動機には、違うものがあるのかもしれないと疑念は湧くが、理由は、そうした環境要因だと言われてしまうから、親も学校になんやかやと言わねばならない。学校もそれなりに反対を押し切って対処した。それはわかる。そのことに、加害者の保護者のお友達の保護者が憤慨しているのも知っている。しかし、登校は最初だけで、再び不登校が始まったらしい。これはなかなか苦しい問題である。教育委員会にまで行った問題らしいが、その深刻さは事件の周縁にいる小生なんかには伝わってこない。性別も違うし、波及しづらいだろう。しかし、それでも、この程度のことが漏れ聞こえているということについても、重大さが推測される。

 

先生の組織変化を見ても、ああ、というのはある。かつての担任の先生は、専科になったけれども、それは労働緩和か、それとも、左遷か。かつての担任の先生は違う学校に出て行ったけれども、それも何か意図があるのか。なんとなく、状況の苦しさは推測できる。それら全てが、この最終学年に蓄積した澱のようなものだ。上の子の時は、多少の諍いはあったけれども、組織的・陰湿的なものは、そこまで漏れ聞こえてはこなかった。なんというか、学年によって、随分と違いがあるということを感じたし、クリティカルな数人が、雰囲気を決めてしまう、ということも理解した。そういう澱を全身で感じてこようと思う。今日はそういう日だ。

 

 

 

ルネサンス・各国語の発展・地震 ~ウィリアム・バウズマ『ルネサンスの秋』4俗語の発展 1「俗語使用の拡大」~

今、何を書けばいいのか。あんまり思いつかない。ルネサンスのことを書くのだからルネサンスについて知ってることを書こうと思うのだけれども、生きていたわけじゃないから、パッと思いつかない。普通のことである。

 

ルネサンスについて一通りを復習しようと思って、西村貞二『ルネサンスと宗教改革』という本があったから、読んでみたら、まとめづらかった。というのも、多数の史料をみて、それらを綜合した記述となるので、すでにまとまっている。まとまっているものを圧縮するのは簡単ではない。

 

中世もルネサンスも王政も、存外明確に線引きできるものではない、ということだけがわかる。でも線は時代区分というかたちで引いてあるではないか、とこちらは思うが、細かく見ていくとそうではないと言われるので、どちらなんだよと思う。

 

それでもやはり中世の初期とルネサンスは違うから、あるいはルネサンスと近代はいる頃の王政は違うから、やはり違うものは違うのだろう。いずれにしても歴史叙述は肉眼で見た歴史、その時代の史料を眺めるというのは顕微鏡で見た歴史となるくらいならわかる。

 

民族移動で始まった西欧中世。古代から中世の境すらあいまいである。西村貞二氏は、その画期をアウグスティヌスの死あたりに据えている。それはちょうど古代ローマ帝国の解体期、民族移動が北アフリカまで及んだ時期でもある。このアウグスティヌスが提唱した『神の国』の理念を実現させようと奮闘して時代が中世であり、その理念の実践そのものに重大な疑念が生じたところからがルネサンス、という切り方をしている気がした。

 

西村氏は、美術史におけるルネサンスを、ダンテの『新生』、チマブーエとジョットーの来伊(13世紀末)からヴァザーリの『美術家伝』(1550)までとしている。実際、古代的な知見はキリスト教文化の中にあった。しかし、それを活用しようとする意志がなかっただけである。ではその意志を生み出したのは何か。イタリア諸都市の経済的活況だった。

 

では、経済的状況がどうしてルネサンスという運動になったのか。まず美術家に依頼する金が結構あったということ。美術家は新たなモチーフを歴史画以外のところで探そうとしたこと。古代ギリシャと古代ローマの逸話や神話が、そこに用いられたということ。それを用いたものを飾って、金持ちは何をしようとしたのか?一つは、それらが古典古代の教養の所有を示す記号だったということ。裸体を、公然と観賞できるということ。古典古代の絵解きとしての意味合いがあったこと。きっと、その辺だろう。

 

宗教的信心と世俗的関心の二重性が、この都市における金持ちの絵画依頼の肝にありそうだ。

 

 

この節で、バウズマは、ラテン語とは別の地域語への意識というものを挙げている。つまり、本来はラテン語で書かれ、ラテン語で写されて、複写されていた聖書を、各国語で翻訳して、翻訳したものを活版印刷術によって複製しようという意思である。ドイツ語訳、英語訳、フランス語訳など、地域的な語によって、聖書は翻訳された。そして、それを地域語で読む、公衆が生まれたというわけである。

 

イタリアでも、トスカナ語が、普遍的な国語にならんとしていた。スペローネ・スペローニは、俗語を擁護した。ガリレイは、イタリア語で、宇宙論を書いた。セルバンテスもスペイン語を擁護したし、エドマンド・スペンサーも『神仙女王』を英語で書いた。

 

思えば、聖書は、ヘブライ語や古代ギリシャ語のラテン語訳であり、そのラテン語訳の翻訳が各国語の聖書で、日本に届いた聖書もまた、それら俗語からの翻訳に拠っている。とすれば、いったいオリジナルとは何であるか。

 

 

なんだろう。やっぱり、日曜日のこうした日記は、どこかふわふわしている。日常的な問題があるわけではないが、問題だらけというわけでもない。特に報告するべき何かがない、ということは幸せなことかもしれない。

 

ちなみに小生の実家は、ここのところ、大きな地震が頻発している地域にあり、ど真ん中ではないから、そこまで慌てることでもないのだけれども、やはり、それなりに大きい地震だという。海の近くでも、崖の近くでもないから、それなりに気楽に過ごしているが、今は熊がやはり脅威らしい。

 

岩手山がもし噴火しても、そこまでは大丈夫ということらしい。よくわからない。

後藤明生『首塚の上のアドバルーン』「平家の首」

Amazonプライムのビデオで古川日出男の「平家物語」を見ようと思ったら、一話しかタダで見られなかった。タダより高いものはない、というけれども、こんなに見たいのなら、課金すべきかどうか迷う。でも『平家物語』だから、なんだかんだと結末は知っているので、別にネタバレを期待しているわけではない。そもそも『平家物語』にネタバレが〜とか言う人がいるのか。もしかしたら、ケーキを切れない世代だから(大袈裟)、『平家物語』の結末を知らない人もいるのかもしれない。

 

とはいえ、我々世代も『分数ができない大学生』と、本気で心配された世代である。あれの新版の文庫が出てきたので、刊行年を見たら、単行本は1999年だった。ど真ん中じゃないか。ロスジェネだって、分数ができない大学生と言われたんだから、その子どもたちがケーキを切れなくても、『平家物語』の結末を知らなくても、モウマンタイじゃないか。分数もできない大学生が、やれ、俺たちの世代はとかなんとか言っても、ノーダメージだろう。もちろん、それは結局、社会の一部分だということに過ぎない。いや、さすがに分数はできるだろ。

 

 

病院に入院した作家。食道の腫瘍の手術を受ける。麻酔から目覚めて、自分を顧みると、様々な管が繋がれている。そして、自分の首にネックレスのような縫い跡が見える。それを見ていたら、なんだか、『平家物語』の首の不思議さが、感じられてきた。その首からはどうしてか血の匂いがしない。流血の描写がほとんどと言っていいほどないのだ。

 

作家は、とにかく、首にまつわる様々なエピソードや、平家方の将の最期を様々に引用する。どれもこれも、どこか戯画的で、不思議と静謐な空気感があると言うのだ。特に齋藤別当実盛のエピソードである。老将実盛は、木曾義仲を迎えるにあたって、派手な甲冑を着ていっていいか、と願い出、認められた。越前の故郷に錦を飾るつもりで、義仲を迎え撃つ。そこで、若者と組み討ち、首を取られる場面でも不思議と流血しない。

 

これは義仲もそうであり、かなり卑怯な形で首を取られた越中前司盛俊もそうだ。盛俊に至っては、一度相手に勝って、首を取ろうとしたら、平家が負けた時にお主を救ってやろうと持ちかけられ、緩めたところをやられるという始末だが、ここでも血は出ない。

 

『平家物語』は血の描写のない静謐な世界である、ということらしい。

 

 

今日のニュースで4月5日に福田章二さん、つまり、作家・庄司薫が亡くなっていたということを聞いた。そんな気がしていた。だから、全部揃えた。これから全集や、ノートのようなものが出てくるのかもしれない。あるいは発行されていない小説とか。

 

全部、読もうと思っていたが、『さよなら怪傑黒頭巾』の途中で止まっている。

 

さよなら、黒頭巾。

 

ほんとうに、さようなら。

パワハラ上司のカツラ大遠投・イタリア戦争・タカシ 〜ウィリアム・バウズマ『ルネサンスの秋』3-2「文化に影が…」〜

ウィリアム・バウズマの『ルネサンスの秋』を読んでいて、その時空間とは離れたニッコロ・マキャヴェッリに興味がわき、改めて『君主論』関係の書物でアップデートされた解説本なども含めて、kindle unlimited で拾えるものを中心に読んでいる。

 

個人的には、超訳的なもの、スタンダードな訳、わかりやすい解説本の3つがあれば、ずいぶん解像度が上がると思う。

 

『君主論』は、たいてい、マキャべリズムという言葉とともに、そのイズムが書かれた本として、少なくとも私世代の周囲では読まれていた。「海賊王に俺はなる」的な荒唐無稽の野心のエネルギー源として、かつては、『我が闘争』やチェ・ゲバラの日記や『君主論』やクラウゼヴィッツの『戦争論』なんかをひもとく知人が多かった。

 

王になりたい欲、というものは割と観察していると面白いので、これら知人と付き合って観察していたのだけれども、揃いも揃って長続きしない。『君主論』も、この時期特有のハシカの延長線上で読まれ、君主は残酷であれ、みたいな都合のいいフレーズだけを覚えている人も多かろう。かくいう小生も、予想していたことがあんまり書かれていないなと思って、文庫で読んだり、全集で読んだり、色々してみたけれども頭に残らない。

 

これはきっと解説書や超訳は邪道、というバイアスが邪魔しているんだろうと思って素直に、解説書を読んだり、AIに質問したりしていたら、まあまあ、マキャヴェッリの状況含め、理解できるようになった。特に、こことかはエセ・マキャベリストのパワハラ上司は理解しておいた方がいい。

 

そこで、次の点に注意すべきである。すなわち、国家を奪い取るにあたっては、国家を占拠する者は、なす必要があるすべての危害を十分に検討し、毎日危害を繰り返さないようにすべてを一気に行ない、また、危害を繰り返さないことによって人びとを安心させ、恩恵を施して彼らを味方につけなければならない、ということである。(光文社古典新訳文庫、No.808)

 

冷酷さは状況の安定に必要不可欠だが、それは小出しにではなく、一気に行って、のちにそれを引っ込めて善政を敷くのがいいし、恩恵は小出しにしていかないといけない、みたいな話とか、

君主は、愛されはしないまでも、憎悪されることを避けて恐れられるようにならなければならない。なぜなら、憎悪されずに恐れられることは立派になりたつからである。(光文社古典新訳文庫、No.1418)

みたいな、恐れられることと憎悪されることの区別など、後ろの方にある文言だから、誰もそこのいきつかないまま、なんとなく目的のためなら手段を選ばないのがカッコいいみたいになっている。

 

だいたいパワハラ上司は、恐れられようとして憎まれているし、危害を毎日のように繰り返して、恩恵を馬の前の人参のようだと勘違いしている。

 

 

この節は、とはいえイタリアは1494年ごろからフランスの介入を受けて、対処を行おうとスペインを引き入れて、混乱状態に入る。エラスムスは、その状況を見ながらイタリアの衰退を予感していた、という話。それに対して、プロテスタント諸国は、対抗して大西洋航路に向かうという策を推進していくという流れが生まれていく、という。

 

なんというか美術史的には華やかなルネサンス期、1400年代を中心として、おおよそ1527年におけるオーストリアのローマ劫掠までのニュアンス。そういう意味では政治史的には、フランス王権、ハプスブルク家との勢力争いがイタリアを襲い、均衡を保っていたフィレンツェのメディチ家没落で、完全にイタリアは戦国時代ならぬ混乱状況に陥る、みたいなところだろう。

 

その混乱は、学校の世界史だと、割とどうでもいい。だから、あんまり詳しく教えられないし、その必要もないのであるが、『ルネサンスの秋』を読もうとするなら、前提になる知識としては必要だろう。1559年のカトー=カンブレジ条約が、この戦乱の終結地点だ。この時期に生まれた世代は、結構、ハズレガチャだなと思わされる。小生らも、そうなのかもしれないが。

 

 

こういう時、ちょっとkindle unlimited に入っていてよかったなと思う。『君主論』のように、いまさら感のある書物においては、旨味の方が多いのかな。こんなの全然美味くないという人もいるだろうし、専門的な本は買えないじゃんという意見もわかるけれども。

 

問題は齋藤孝である。この御仁は、常にいっちょかみしてくるところに、真骨頂があり、『君主論』にもやはりいっちょかみしてらっしゃるのがKindle Unlimitedにあった。『1分間君主論』。これ2018年の本だから、AIは使ってないけれど、齋藤がAIなんだよね、要するに。すでにAIよりもAIな男が爆誕していたんだよ。なんなら2012あたりから、すでにそう。初期の宮沢賢治論とか、身体技法論とか、その辺は人間齋藤が書いてる。なんとなくプロセスが見えるから。でもある時から、キレたんだろうね。誰も俺の話を聞いてないじゃんって。そんで書くものもどんどんAI的に、言ってみれば金太郎飴的になっていった。すごいよね、誰が買うのかと思う。

 

ただ、どこにいっても同じ味って、要するにファミレス的だよね。ユニクロ的だよね。そういう背後にあるプロセスなんかどうでもいいから出来合いのプロダクトが効果を出せばいいでしょう的な。まあそれもアリなんでしょうね。本が贅沢品になるんだとしたら、もう、そんなプロダクトは100円、なんならスリコ的300円でいいだろ、と。充分にAIだから、AIもそれをちゃんと拾ってbot化してくれるでしょ。導入しても多分誰も気づかない。だって、すでにAIなんだから。

 

最後は、なんだか、暴言になったが、愛、ありますよ。いいわけに聞こえるかな。

 

 

バセドー・イタリア強し・フォルトゥーナ 〜ウィリアム・バウズマ『ルネサンスの秋』3節 首位独走のイタリア 1「イタリアの底力」〜

台風のせいか偏頭痛だ。バセドーを患って以来、偏頭痛が起こるようになった。バセドーは沈静しているのだが、偏頭痛だけは残った。バセドーの時は、朝、298円の弁当を2個、カップ焼きそばを2個食べてちょうどいいくらいだった。寝汗も酷かった。挙動もおかしかった。フランクフルトで、巨大なステーキを平らげられていたのは、この食欲ゆえだったのかもしれない。冬も寒くなかった。ヴュルツブルクで、脈を測ってもらった時に、みんながちょっと調べてもらった方がいいぞと言っていたことも懐かしい。帰国して調べてもらったら、バセドー病だった。笑えない話である。

 

あれから16年。なんとか、生きている。ただ、やっぱり偏頭痛は起こる。起こると、やっぱりちょっとだけ不安になる。バセドー病が始まった頃は、1週間に1回、原宿の病院に行っていた。朝6時半から整理券がもらえるので、一番に並ぼうとして朝早く起きて向かっていたけれども、ついに一番は取れなかった。頭に来て、近くのホテルに泊まって、並んだ。さすがにその時は一番を取れたが、一番になっても、終わりはそんなに早くなかったので、無理するのはやめた。

 

6時半に整理券をもらって、8時から採血。すごい人数が流れ作業で、採血を行なっていく。皆手だれである。血管を間違われることはほとんどなかった。太っていて、あんまり血管が見えないのに。町医者では、4回間違われて、最終的に採血できない時もあったのに、さすが専門の病院である。採血の結果が出て、診察だけれども、だいたい1時間半くらいかかる。だから、コーヒーを飲みにスタバに行ったり、モスのカフェで時間を潰したりしていた。朝の表参道は、爽やかで気持ちが良い。今はどうだろうか。

 

偏頭痛が出ると、いつもバセドーの記憶から、ドイツのことを思い出す。ドイツは良かった。ドイツといっても、フランクフルトや、ハイデルベルク、ヴュルツブルク、シュバインフルト、ローデンベルクあたりの話だけだけれども。

 

 

ルネサンスにおいて、他の国の偏見や陰口がありつつも、イタリアはやはり文化の中心だった。文学は、イタリア文学こそ、世界基準だった。スペンサーやセルバンテスは、アリオストを読んで勉強したし、シェイクスピアもイタリア諸都市の物語を参考にした。イタリア旅行は近代に至るまで、上流階級の嗜みだったし、ルーベンスはイタリア修行にきた。モンテーニュも、イタリアから様々なことを吸収した。

 

 

今回の章は、この程度。

 

『君主論』の中によく知られた「運(命)」(フォルトゥナ)と「力(量)」(ヴィルトゥ)という概念がある。

 

最初、小生は「運も実力のうち」みたいな格言で、この言葉のセットをみていて、同じだな、とかなんとか考えていたんだけれども、どうも、これは社会学における自己と他者とか、行為と環境とか、行動と状況とか、内と外とか、意識と無意識とか、《自分でどうにかなるもの》と《自分ではどうにもならないもの》の区別だと、理解できるようになった。

 

この時代はまだ、そういう比喩を使って表現しなければならなかったので、運と力、みたいな言葉を使っているが、運は状況とか形勢とかそういう周囲の条件を示す言葉だと思ったら、すらすら頭に入るようになった。

多様性に対する懐疑・君主論・織田信長~ウィリアム・バウズマ『ルネサンスの秋』2 ヨーロッパの文化的統一と文人の共和国「ボダンの考え」~

ルネサンス盛期(1555-1640)は、ルネサンス的自由と多様性に耐えきれなくなった時代である。自由と多様性に対する懐疑も生み出した時代である。自由の放埒と多元性の腐敗に、対応するための言説が求められた時代でもある。これだけ見ると、まさに現代の問題がある、と言えるかもしれない。

 

 

ここでバウズマの引用するジャン・ボダンのコスモポリタニズムに基づく、各地の夜郎自大さに対する皮肉は、一方でそれらを統一する権力の必要性を呼び込む。ホッブズのような形での絶対権力が定立されるわけではないが、少なくともその政治思想には、統治するものの必要性が書き込まれている。

 

ただ、この節ではまだボダンの多元主義への寛容、そういう部分が引用されている。

 

 

現代を見たくなくても、現代が呼び込まれる。

 

多文化主義、相対主義、色々な呼び名はあるが、とにかく好き勝手が横行する世界の中で明確で共通のルールは何か、という基準が求められてきた時代が、まさにこの「ルネサンスの秋」という時空間だ。日本語では「秋」と訳されているが、“The Waning of the Renaissance, 1550–1640”のwaningは衰退とかの意味だろう。歴史は循環するということもあるので、硬直と弛緩、多元化と一元化という両極の間で、どのように人が引き裂かれていくか、を描いたものなのだろう。そう考えると、やはり現代だ。グローバリズムとローカリズム、金と力と自由の強調に対して、揺り返しというのがどこからか始まる。

 

中世の領邦的封建制から、国民国家へという流れ。国王のいる時代は国民国家なのか、という疑問もあるが、1648年のウェストファリア条約によって、各国家の外縁がおおよそ確定すると、その領域は国王の身体と同一視され、その内側にある全てが国王の、つまりは主権のうちへと含まれる。王の細胞としての人民というわけである。細胞だからむげにもできない。

 

諸侯の領土が大きかろうと小さかろうと、群雄的な状況である、ということは間違いない。マキャヴェッリの『君主論』は、封建制から絶対王政に移行する際に、王権の正当性をどのように打ち立てるかという試みの一つとして、読める。ホッブスなんかと違って、社会科学的とはいえない記述だが、最高権力が立つときの機微を伝える書物として、小生は読んだ。

 

神の秩序に対して、政治的領域で、神を僭称できる地位に立つ、のは障害も多かっただろう。その障害をどう乗り越えるのか、乗り越えて君主となり、領土を統治するとはどういうことなのか。

 

実際、『君主論』を翻訳で読もうとすると、口上がまだるっこしい。これこそAIにポイントをまとめてもらうといいのだが、おおよそそういう書物にはかつて人間がAI的挙動を行うことで、出版された書物がある。いわゆる現代訳や超訳というやつである。関根光宏訳の『新訳すらすら読める君主論』(サンマーク出版)は、なかなかいい。こういうので読んで、おやっと思ったところだけ、岩波や中公の文庫に戻ってもいいだろう。

 

『君主論』は1532年刊。バウズマのルネサンス盛期の時期区分からすると、ちょい前の刊行になる。日本に流れてきて、極秘に訳され、織田信長が読んだ、なんている空想の物語を考えた。というより、訳の段階で、そうした戦国的要素も含めて語彙選択に現れているのかもしれない。あるいは、超越的権力を想像しようとすると、合理的に考えると、同様の結論に落ち着くのか。割と行動原理が似ていた。