光朗(ミツルー)の日記

窓際社員のミツルーです。読書かと思えば最近は本当に日記です。

ルネサンス・各国語の発展・地震 ~ウィリアム・バウズマ『ルネサンスの秋』4俗語の発展 1「俗語使用の拡大」~

今、何を書けばいいのか。あんまり思いつかない。ルネサンスのことを書くのだからルネサンスについて知ってることを書こうと思うのだけれども、生きていたわけじゃないから、パッと思いつかない。普通のことである。

 

ルネサンスについて一通りを復習しようと思って、西村貞二『ルネサンスと宗教改革』という本があったから、読んでみたら、まとめづらかった。というのも、多数の史料をみて、それらを綜合した記述となるので、すでにまとまっている。まとまっているものを圧縮するのは簡単ではない。

 

中世もルネサンスも王政も、存外明確に線引きできるものではない、ということだけがわかる。でも線は時代区分というかたちで引いてあるではないか、とこちらは思うが、細かく見ていくとそうではないと言われるので、どちらなんだよと思う。

 

それでもやはり中世の初期とルネサンスは違うから、あるいはルネサンスと近代はいる頃の王政は違うから、やはり違うものは違うのだろう。いずれにしても歴史叙述は肉眼で見た歴史、その時代の史料を眺めるというのは顕微鏡で見た歴史となるくらいならわかる。

 

民族移動で始まった西欧中世。古代から中世の境すらあいまいである。西村貞二氏は、その画期をアウグスティヌスの死あたりに据えている。それはちょうど古代ローマ帝国の解体期、民族移動が北アフリカまで及んだ時期でもある。このアウグスティヌスが提唱した『神の国』の理念を実現させようと奮闘して時代が中世であり、その理念の実践そのものに重大な疑念が生じたところからがルネサンス、という切り方をしている気がした。

 

西村氏は、美術史におけるルネサンスを、ダンテの『新生』、チマブーエとジョットーの来伊(13世紀末)からヴァザーリの『美術家伝』(1550)までとしている。実際、古代的な知見はキリスト教文化の中にあった。しかし、それを活用しようとする意志がなかっただけである。ではその意志を生み出したのは何か。イタリア諸都市の経済的活況だった。

 

では、経済的状況がどうしてルネサンスという運動になったのか。まず美術家に依頼する金が結構あったということ。美術家は新たなモチーフを歴史画以外のところで探そうとしたこと。古代ギリシャと古代ローマの逸話や神話が、そこに用いられたということ。それを用いたものを飾って、金持ちは何をしようとしたのか?一つは、それらが古典古代の教養の所有を示す記号だったということ。裸体を、公然と観賞できるということ。古典古代の絵解きとしての意味合いがあったこと。きっと、その辺だろう。

 

宗教的信心と世俗的関心の二重性が、この都市における金持ちの絵画依頼の肝にありそうだ。

 

 

この節で、バウズマは、ラテン語とは別の地域語への意識というものを挙げている。つまり、本来はラテン語で書かれ、ラテン語で写されて、複写されていた聖書を、各国語で翻訳して、翻訳したものを活版印刷術によって複製しようという意思である。ドイツ語訳、英語訳、フランス語訳など、地域的な語によって、聖書は翻訳された。そして、それを地域語で読む、公衆が生まれたというわけである。

 

イタリアでも、トスカナ語が、普遍的な国語にならんとしていた。スペローネ・スペローニは、俗語を擁護した。ガリレイは、イタリア語で、宇宙論を書いた。セルバンテスもスペイン語を擁護したし、エドマンド・スペンサーも『神仙女王』を英語で書いた。

 

思えば、聖書は、ヘブライ語や古代ギリシャ語のラテン語訳であり、そのラテン語訳の翻訳が各国語の聖書で、日本に届いた聖書もまた、それら俗語からの翻訳に拠っている。とすれば、いったいオリジナルとは何であるか。

 

 

なんだろう。やっぱり、日曜日のこうした日記は、どこかふわふわしている。日常的な問題があるわけではないが、問題だらけというわけでもない。特に報告するべき何かがない、ということは幸せなことかもしれない。

 

ちなみに小生の実家は、ここのところ、大きな地震が頻発している地域にあり、ど真ん中ではないから、そこまで慌てることでもないのだけれども、やはり、それなりに大きい地震だという。海の近くでも、崖の近くでもないから、それなりに気楽に過ごしているが、今は熊がやはり脅威らしい。

 

岩手山がもし噴火しても、そこまでは大丈夫ということらしい。よくわからない。

後藤明生『首塚の上のアドバルーン』「平家の首」

Amazonプライムのビデオで古川日出男の「平家物語」を見ようと思ったら、一話しかタダで見られなかった。タダより高いものはない、というけれども、こんなに見たいのなら、課金すべきかどうか迷う。でも『平家物語』だから、なんだかんだと結末は知っているので、別にネタバレを期待しているわけではない。そもそも『平家物語』にネタバレが〜とか言う人がいるのか。もしかしたら、ケーキを切れない世代だから(大袈裟)、『平家物語』の結末を知らない人もいるのかもしれない。

 

とはいえ、我々世代も『分数ができない大学生』と、本気で心配された世代である。あれの新版の文庫が出てきたので、刊行年を見たら、単行本は1999年だった。ど真ん中じゃないか。ロスジェネだって、分数ができない大学生と言われたんだから、その子どもたちがケーキを切れなくても、『平家物語』の結末を知らなくても、モウマンタイじゃないか。分数もできない大学生が、やれ、俺たちの世代はとかなんとか言っても、ノーダメージだろう。もちろん、それは結局、社会の一部分だということに過ぎない。いや、さすがに分数はできるだろ。

 

 

病院に入院した作家。食道の腫瘍の手術を受ける。麻酔から目覚めて、自分を顧みると、様々な管が繋がれている。そして、自分の首にネックレスのような縫い跡が見える。それを見ていたら、なんだか、『平家物語』の首の不思議さが、感じられてきた。その首からはどうしてか血の匂いがしない。流血の描写がほとんどと言っていいほどないのだ。

 

作家は、とにかく、首にまつわる様々なエピソードや、平家方の将の最期を様々に引用する。どれもこれも、どこか戯画的で、不思議と静謐な空気感があると言うのだ。特に齋藤別当実盛のエピソードである。老将実盛は、木曾義仲を迎えるにあたって、派手な甲冑を着ていっていいか、と願い出、認められた。越前の故郷に錦を飾るつもりで、義仲を迎え撃つ。そこで、若者と組み討ち、首を取られる場面でも不思議と流血しない。

 

これは義仲もそうであり、かなり卑怯な形で首を取られた越中前司盛俊もそうだ。盛俊に至っては、一度相手に勝って、首を取ろうとしたら、平家が負けた時にお主を救ってやろうと持ちかけられ、緩めたところをやられるという始末だが、ここでも血は出ない。

 

『平家物語』は血の描写のない静謐な世界である、ということらしい。

 

 

今日のニュースで4月5日に福田章二さん、つまり、作家・庄司薫が亡くなっていたということを聞いた。そんな気がしていた。だから、全部揃えた。これから全集や、ノートのようなものが出てくるのかもしれない。あるいは発行されていない小説とか。

 

全部、読もうと思っていたが、『さよなら怪傑黒頭巾』の途中で止まっている。

 

さよなら、黒頭巾。

 

ほんとうに、さようなら。

パワハラ上司のカツラ大遠投・イタリア戦争・タカシ 〜ウィリアム・バウズマ『ルネサンスの秋』3-2「文化に影が…」〜

ウィリアム・バウズマの『ルネサンスの秋』を読んでいて、その時空間とは離れたニッコロ・マキャヴェッリに興味がわき、改めて『君主論』関係の書物でアップデートされた解説本なども含めて、kindle unlimited で拾えるものを中心に読んでいる。

 

個人的には、超訳的なもの、スタンダードな訳、わかりやすい解説本の3つがあれば、ずいぶん解像度が上がると思う。

 

『君主論』は、たいてい、マキャべリズムという言葉とともに、そのイズムが書かれた本として、少なくとも私世代の周囲では読まれていた。「海賊王に俺はなる」的な荒唐無稽の野心のエネルギー源として、かつては、『我が闘争』やチェ・ゲバラの日記や『君主論』やクラウゼヴィッツの『戦争論』なんかをひもとく知人が多かった。

 

王になりたい欲、というものは割と観察していると面白いので、これら知人と付き合って観察していたのだけれども、揃いも揃って長続きしない。『君主論』も、この時期特有のハシカの延長線上で読まれ、君主は残酷であれ、みたいな都合のいいフレーズだけを覚えている人も多かろう。かくいう小生も、予想していたことがあんまり書かれていないなと思って、文庫で読んだり、全集で読んだり、色々してみたけれども頭に残らない。

 

これはきっと解説書や超訳は邪道、というバイアスが邪魔しているんだろうと思って素直に、解説書を読んだり、AIに質問したりしていたら、まあまあ、マキャヴェッリの状況含め、理解できるようになった。特に、こことかはエセ・マキャベリストのパワハラ上司は理解しておいた方がいい。

 

そこで、次の点に注意すべきである。すなわち、国家を奪い取るにあたっては、国家を占拠する者は、なす必要があるすべての危害を十分に検討し、毎日危害を繰り返さないようにすべてを一気に行ない、また、危害を繰り返さないことによって人びとを安心させ、恩恵を施して彼らを味方につけなければならない、ということである。(光文社古典新訳文庫、No.808)

 

冷酷さは状況の安定に必要不可欠だが、それは小出しにではなく、一気に行って、のちにそれを引っ込めて善政を敷くのがいいし、恩恵は小出しにしていかないといけない、みたいな話とか、

君主は、愛されはしないまでも、憎悪されることを避けて恐れられるようにならなければならない。なぜなら、憎悪されずに恐れられることは立派になりたつからである。(光文社古典新訳文庫、No.1418)

みたいな、恐れられることと憎悪されることの区別など、後ろの方にある文言だから、誰もそこのいきつかないまま、なんとなく目的のためなら手段を選ばないのがカッコいいみたいになっている。

 

だいたいパワハラ上司は、恐れられようとして憎まれているし、危害を毎日のように繰り返して、恩恵を馬の前の人参のようだと勘違いしている。

 

 

この節は、とはいえイタリアは1494年ごろからフランスの介入を受けて、対処を行おうとスペインを引き入れて、混乱状態に入る。エラスムスは、その状況を見ながらイタリアの衰退を予感していた、という話。それに対して、プロテスタント諸国は、対抗して大西洋航路に向かうという策を推進していくという流れが生まれていく、という。

 

なんというか美術史的には華やかなルネサンス期、1400年代を中心として、おおよそ1527年におけるオーストリアのローマ劫掠までのニュアンス。そういう意味では政治史的には、フランス王権、ハプスブルク家との勢力争いがイタリアを襲い、均衡を保っていたフィレンツェのメディチ家没落で、完全にイタリアは戦国時代ならぬ混乱状況に陥る、みたいなところだろう。

 

その混乱は、学校の世界史だと、割とどうでもいい。だから、あんまり詳しく教えられないし、その必要もないのであるが、『ルネサンスの秋』を読もうとするなら、前提になる知識としては必要だろう。1559年のカトー=カンブレジ条約が、この戦乱の終結地点だ。この時期に生まれた世代は、結構、ハズレガチャだなと思わされる。小生らも、そうなのかもしれないが。

 

 

こういう時、ちょっとkindle unlimited に入っていてよかったなと思う。『君主論』のように、いまさら感のある書物においては、旨味の方が多いのかな。こんなの全然美味くないという人もいるだろうし、専門的な本は買えないじゃんという意見もわかるけれども。

 

問題は齋藤孝である。この御仁は、常にいっちょかみしてくるところに、真骨頂があり、『君主論』にもやはりいっちょかみしてらっしゃるのがKindle Unlimitedにあった。『1分間君主論』。これ2018年の本だから、AIは使ってないけれど、齋藤がAIなんだよね、要するに。すでにAIよりもAIな男が爆誕していたんだよ。なんなら2012あたりから、すでにそう。初期の宮沢賢治論とか、身体技法論とか、その辺は人間齋藤が書いてる。なんとなくプロセスが見えるから。でもある時から、キレたんだろうね。誰も俺の話を聞いてないじゃんって。そんで書くものもどんどんAI的に、言ってみれば金太郎飴的になっていった。すごいよね、誰が買うのかと思う。

 

ただ、どこにいっても同じ味って、要するにファミレス的だよね。ユニクロ的だよね。そういう背後にあるプロセスなんかどうでもいいから出来合いのプロダクトが効果を出せばいいでしょう的な。まあそれもアリなんでしょうね。本が贅沢品になるんだとしたら、もう、そんなプロダクトは100円、なんならスリコ的300円でいいだろ、と。充分にAIだから、AIもそれをちゃんと拾ってbot化してくれるでしょ。導入しても多分誰も気づかない。だって、すでにAIなんだから。

 

最後は、なんだか、暴言になったが、愛、ありますよ。いいわけに聞こえるかな。

 

 

バセドー・イタリア強し・フォルトゥーナ 〜ウィリアム・バウズマ『ルネサンスの秋』3節 首位独走のイタリア 1「イタリアの底力」〜

台風のせいか偏頭痛だ。バセドーを患って以来、偏頭痛が起こるようになった。バセドーは沈静しているのだが、偏頭痛だけは残った。バセドーの時は、朝、298円の弁当を2個、カップ焼きそばを2個食べてちょうどいいくらいだった。寝汗も酷かった。挙動もおかしかった。フランクフルトで、巨大なステーキを平らげられていたのは、この食欲ゆえだったのかもしれない。冬も寒くなかった。ヴュルツブルクで、脈を測ってもらった時に、みんながちょっと調べてもらった方がいいぞと言っていたことも懐かしい。帰国して調べてもらったら、バセドー病だった。笑えない話である。

 

あれから16年。なんとか、生きている。ただ、やっぱり偏頭痛は起こる。起こると、やっぱりちょっとだけ不安になる。バセドー病が始まった頃は、1週間に1回、原宿の病院に行っていた。朝6時半から整理券がもらえるので、一番に並ぼうとして朝早く起きて向かっていたけれども、ついに一番は取れなかった。頭に来て、近くのホテルに泊まって、並んだ。さすがにその時は一番を取れたが、一番になっても、終わりはそんなに早くなかったので、無理するのはやめた。

 

6時半に整理券をもらって、8時から採血。すごい人数が流れ作業で、採血を行なっていく。皆手だれである。血管を間違われることはほとんどなかった。太っていて、あんまり血管が見えないのに。町医者では、4回間違われて、最終的に採血できない時もあったのに、さすが専門の病院である。採血の結果が出て、診察だけれども、だいたい1時間半くらいかかる。だから、コーヒーを飲みにスタバに行ったり、モスのカフェで時間を潰したりしていた。朝の表参道は、爽やかで気持ちが良い。今はどうだろうか。

 

偏頭痛が出ると、いつもバセドーの記憶から、ドイツのことを思い出す。ドイツは良かった。ドイツといっても、フランクフルトや、ハイデルベルク、ヴュルツブルク、シュバインフルト、ローデンベルクあたりの話だけだけれども。

 

 

ルネサンスにおいて、他の国の偏見や陰口がありつつも、イタリアはやはり文化の中心だった。文学は、イタリア文学こそ、世界基準だった。スペンサーやセルバンテスは、アリオストを読んで勉強したし、シェイクスピアもイタリア諸都市の物語を参考にした。イタリア旅行は近代に至るまで、上流階級の嗜みだったし、ルーベンスはイタリア修行にきた。モンテーニュも、イタリアから様々なことを吸収した。

 

 

今回の章は、この程度。

 

『君主論』の中によく知られた「運(命)」(フォルトゥナ)と「力(量)」(ヴィルトゥ)という概念がある。

 

最初、小生は「運も実力のうち」みたいな格言で、この言葉のセットをみていて、同じだな、とかなんとか考えていたんだけれども、どうも、これは社会学における自己と他者とか、行為と環境とか、行動と状況とか、内と外とか、意識と無意識とか、《自分でどうにかなるもの》と《自分ではどうにもならないもの》の区別だと、理解できるようになった。

 

この時代はまだ、そういう比喩を使って表現しなければならなかったので、運と力、みたいな言葉を使っているが、運は状況とか形勢とかそういう周囲の条件を示す言葉だと思ったら、すらすら頭に入るようになった。

多様性に対する懐疑・君主論・織田信長~ウィリアム・バウズマ『ルネサンスの秋』2 ヨーロッパの文化的統一と文人の共和国「ボダンの考え」~

ルネサンス盛期(1555-1640)は、ルネサンス的自由と多様性に耐えきれなくなった時代である。自由と多様性に対する懐疑も生み出した時代である。自由の放埒と多元性の腐敗に、対応するための言説が求められた時代でもある。これだけ見ると、まさに現代の問題がある、と言えるかもしれない。

 

 

ここでバウズマの引用するジャン・ボダンのコスモポリタニズムに基づく、各地の夜郎自大さに対する皮肉は、一方でそれらを統一する権力の必要性を呼び込む。ホッブズのような形での絶対権力が定立されるわけではないが、少なくともその政治思想には、統治するものの必要性が書き込まれている。

 

ただ、この節ではまだボダンの多元主義への寛容、そういう部分が引用されている。

 

 

現代を見たくなくても、現代が呼び込まれる。

 

多文化主義、相対主義、色々な呼び名はあるが、とにかく好き勝手が横行する世界の中で明確で共通のルールは何か、という基準が求められてきた時代が、まさにこの「ルネサンスの秋」という時空間だ。日本語では「秋」と訳されているが、“The Waning of the Renaissance, 1550–1640”のwaningは衰退とかの意味だろう。歴史は循環するということもあるので、硬直と弛緩、多元化と一元化という両極の間で、どのように人が引き裂かれていくか、を描いたものなのだろう。そう考えると、やはり現代だ。グローバリズムとローカリズム、金と力と自由の強調に対して、揺り返しというのがどこからか始まる。

 

中世の領邦的封建制から、国民国家へという流れ。国王のいる時代は国民国家なのか、という疑問もあるが、1648年のウェストファリア条約によって、各国家の外縁がおおよそ確定すると、その領域は国王の身体と同一視され、その内側にある全てが国王の、つまりは主権のうちへと含まれる。王の細胞としての人民というわけである。細胞だからむげにもできない。

 

諸侯の領土が大きかろうと小さかろうと、群雄的な状況である、ということは間違いない。マキャヴェッリの『君主論』は、封建制から絶対王政に移行する際に、王権の正当性をどのように打ち立てるかという試みの一つとして、読める。ホッブスなんかと違って、社会科学的とはいえない記述だが、最高権力が立つときの機微を伝える書物として、小生は読んだ。

 

神の秩序に対して、政治的領域で、神を僭称できる地位に立つ、のは障害も多かっただろう。その障害をどう乗り越えるのか、乗り越えて君主となり、領土を統治するとはどういうことなのか。

 

実際、『君主論』を翻訳で読もうとすると、口上がまだるっこしい。これこそAIにポイントをまとめてもらうといいのだが、おおよそそういう書物にはかつて人間がAI的挙動を行うことで、出版された書物がある。いわゆる現代訳や超訳というやつである。関根光宏訳の『新訳すらすら読める君主論』(サンマーク出版)は、なかなかいい。こういうので読んで、おやっと思ったところだけ、岩波や中公の文庫に戻ってもいいだろう。

 

『君主論』は1532年刊。バウズマのルネサンス盛期の時期区分からすると、ちょい前の刊行になる。日本に流れてきて、極秘に訳され、織田信長が読んだ、なんている空想の物語を考えた。というより、訳の段階で、そうした戦国的要素も含めて語彙選択に現れているのかもしれない。あるいは、超越的権力を想像しようとすると、合理的に考えると、同様の結論に落ち着くのか。割と行動原理が似ていた。

ロリンズ・スペイン・服部 〜ウイリアム・バウズマ『ルネサンスの秋』1-1-4「スペインの事情」〜

それで、文章を書いていて最近思うのは、当たり前のように出している「後藤明生」とか「瀧口入道」とか「平維盛」とか、そういう単語は、世間の人にとってどうでもいいのではないか、ということだ。小生にとっても、例えば、プログラミングに関する単語の多くは見慣れないので、スルーしてしまう。なので、こうした人名も、関心のない大勢の人にとってはただのノイズなんだろうと思い始めた。

 

いや、「思い始めた」というのは嘘だな。ある程度、それは書く段において、念頭にはおいてる。おいてはいるけれども、説明のために出さざるをえない、ということ。それを説明しようという気がない、というのが問題なのかもしれない。先日、ソニー・ロリンズが亡くなったが、ソニー・ロリンズというテナーサックス奏者の説明を入れるかいれないか、みたいなものだと思う。

 

平維盛とソニー・ロリンズのどちらが知名度があるだろう。ソニー・ロリンズならば、単語だけで、その評価と、ロリンズを語るというコンテクストすべてが届くのだろうか。そう考えると、すべての固有名詞があやしくなってくる。『銀河英雄伝説』という作品と田中芳樹という作家について、その作品と作家名だけで、それらが受容された社会的コンテクストまで、とどく若い人は少なかろう。

 

ええと、何が言いたいかというと、小生の所属している準拠集団の賞味期限はすでに過ぎ、消費期限さえも超過して、誰もそんなものに見向きもしない状態になっているということだ。なので、ある程度好き勝手に書いても、おそらくは誰も読まないだろうから、それはそれで気楽である。noteの方なんか、ほとんど誰も読まない。ありがたいことではある。

 

 

この節は、スペインのルネサンス盛期における立ち位置である。ルネサンス盛期とは、バウズマ的には1555年から1645年だ。いわゆるアウグスブルクの宗教和議以降の時空間ということになる。アウグスブルクの宗教和議とは、ドイツ諸侯の領域内で、ルター派とカトリックに分かれて闘争している混乱を調停しようとした出来事である。

 

スペインはだから、この妥協が行われているなかで、カトリックへと揺り戻していく。特に1492年ごろまでレコンキスタ運動が行われていたスペインでは異端に対する厳格な態度が強かった。そのため、新しい学問に対する規制が強まり、社会の硬直化がもたらされた。

 

しかし、だからといって文化面に沈滞が起こったわけではない。ハプスブルク家ウィーン、ハプスブルク家スペイン、ハプスブルク家オランダといった分割された財産の多くは美術品として消費され、宮廷文化を彩ったという。

 

 

氣志團のアルバムジャケットをチラチラみてたら、服部がいた。服部とは、ユニコーンのアルバム『服部』を飾るおじさんのことである。彼は実際、服部という名字ではないらしい。そのおじさんが、おじいさんとなって、リーゼントで2004年の氣志團Too fast to live Too young to dieに登場していた。懐かしい。

 

我々世代の顔と言ったら、服部か、どっこいさむか、大坂正明かみたいなものだ。交番の脇を通るたび、指名手配犯のポスターに見入った。CDジャケットも、普通はアーティストがカッコつけてるのに、服部はおっさんの顔がそこにあった。しかも、おっさんは服部じゃないらしい。あとでウィキペディアで知るが、中村さんみたいな名前だったか。

 

固有名詞のコンテクストをどう伝えるか。固有名詞の周りにある、その時代の空気感をどう伝えるか。歴史叙述で引用されている部分というのは、その空気感があるものを選んでいる。

後藤明生『首塚の上のアドバルーン』「『瀧口入道』異聞」

文芸批評めいた言い方というのは、もう、この時代まったく顧みられなくなったので、わざわざそういう書き方や語彙を選択する必要はないのだけれども、これは身に着いた癖みたいなもので直しようがない。感想文を書くのに、そんなもったいつけた言い方をすると、どんどん読んでくれる人が少なくなるね、と思うので、誰も傷つけない文章を心掛けたい。

 

そもそも、文芸批評なるジャンルが、書店から撤去された。2000年代中頃までは、人文系学術コーナーが、少し大きい書店であれば設けられてあったのに、今は、ほとんどない。書店がどうこう、読書がどうこう、というよりも、小説家や文芸批評家が、何か真理に近いことを述べるかも、という信憑自体が、世の中にはない。少しはあるのかもしれないが、それは昔の慣行を知っている人だけであって、今の人はそんなことを気にしないだろう。

 

じゃあ、どうして小説家になりたい人がそこそこいるのか、というと、投資少な目で多くリターンがありそうに見えるからかもしれない。少し考えて調べてみるといいと思うけれど、職業作家は割と一部の逃げ切り作家層以外は、大変だと思う。だって、書きたい人ばかり増えて、読む人はそんなに多くなっていないと思うから。データに基づいていない印象論に過ぎないが。

 

今、小生はむしろ書き手の増加とともに読み手の増加もあればいいと思うくらい、広い心の状態だ。狭い市場だから、その中であれやこれや言ってもはじまらない。でも、後藤明生のような作家は、昔の文芸批評家好みの作家なので、今はあんまり、若い人は読まないだろうと思われる。

 

 

この「『瀧口入道』異聞」の短編は、その前の「変化する風景」の短編で行き会った新田義貞の首塚の脇に、瀧口寺というのがあり、そこは瀧口入道と横笛の悲恋を記念するために興された寺だったということからはじまる。

 

修学旅行生の大群に押し出されるように、横道に入って、作家は新田義貞の首塚を見つけた。その横には、こんどは『平家物語』に出てくる瀧口入道と横笛の逸話を記念した寺である瀧口寺があり、そこの境内あたりで急に寺男に話しかけられ、奇妙な女が広告を一枚一枚めくりながら読経めいたことをしている中、寺の内部へと通される。

 

寺の内部は、手入れが全然なされていなくて、むしろ、これは狐狸に騙されたような感覚かと、周りを見渡すとすでに寺男はいないし、部屋はうすぐらいし、女の読経の抑揚が妙に平坦で気味悪いわ、ということで、そんなことを思い出しながら、一方で、『平家物語』に登場する瀧口入道と、明治の作家高山樗牛が造形した『瀧口入道』の相異を話してみせる。

 

『平家物語』の瀧口入道とは、斎藤時頼のことである。平家の侍だった「斎藤時頼」は、ある宴席で、「横笛」という女が平家の棟梁筋の「平維盛」と舞いを踊るのをみて、惚れちゃう。で、親父に「横笛と結婚したいんだけど」というと、「お前はこれからがあるんだから、あんなのと結婚はダメ」と反対されて、怒って出家しちゃう。それで「瀧口入道」と呼ばれる。「横笛」はそんな時頼の出家先が高野山の方、と聞いて、あるときそこまで訪ねていく。

 

ここまでは、平家も樗牛も同じっぽい。

 

『平家物語』での「平維盛」は、なんというか、文人的で惰弱な感じ。一ノ谷の敗戦で、一人戦線を離脱し、和歌山の方まで来て、最終的に出家して、「瀧口入道」のいるところまで行く。そんで、「瀧口入道」に、さっきの「横笛」とのエピソードや、「あんたは棟梁なんだから戻るべき」と延々と説教されて、最後は従者たちと那智の海へ入水する。

 

高山樗牛は、この従者の中にいた足助二郎重景という人物を、横笛と瀧口入道との間に割り込む三角関係のライバルに設定して、かつての主君の息子と同僚のライバルが落ちぶれてきたところを説教して、戦線に戻そうとしたのに、なぜか入水させちゃう。それでああやっちゃったとばかりに、自分も生きては居られないと自決するわけ。

 

その辺の、変形が面白いよね、なんて話があったところで、本堂の中で、横笛と瀧口入道の木像が、なんだか不気味にみえ、同行していたはずのM氏の姿もみえない。女の読経も、何を読んでいるかわからず、もしかしたら高山樗牛の瀧口入道のストーリーかもしれず、とにかく不気味だった、という話。

 

 

高山樗牛の『瀧口入道』は、昔、諏訪に住んでいた時に読んだ。なぜ諏訪なのかというと、諏訪には5蔵と呼ばれる日本酒蔵があって、舞姫、真澄、本金、麗人、そして、横笛がある。

 

飲み比べウォークのようなイベントがあって、毎年楽しみにしていた。最初は琵琶湖のほとりのアパートだったのだけれども、ユスリカが大量発生するので、少し遠くに引っ越したあと、最後は、もっと大通り沿いに引っ越した。そこから自転車でよく買いに行った。

 

伊東酒造という名前で、「横笛」の由来が、その高山樗牛だったので、それで読んでみた。『平家物語』の方は、あんまりわかってなかった。単体だけだと、文章も美文調で時代感強かったので、読みにくかったけれども、こうやって誰かに解説してもらうと、わかりやすい。

 

シェイクスピアっぽいな、と思った。横笛も、まあ、スタンダードでうまかった。

 

御柱祭もみた。この時期、諏訪はたいへんに落ち着きがなくなる。次回は、2028年らしいから、そろそろ落ち着きをなくす時期に差し掛かるのかもしれない。

 

ちなみに、この横笛と瀧口入道のエピソード。

横笛は、入道に会いに行くけれども、実際顔を合わせない。歌のやりとりがなされるだけで、そのさりげなさが、いい、という感じでもある。そして、未練を断ち切って、瀧口入道は出家するし、横笛は具合を悪くして亡くなってしまう。

 

樗牛だと、もう少し、具体的なやりとりがあって、別離に至る。

 

で、ここに、さらなるエピソードを付け加えたのが、高野山の大圓院で、横笛は死後、鶯に姿を変えて女人禁制の高野山まで瀧口入道を訪ね、庭の梅にとまって悲しげに鳴いたのち、井戸へ落ちて死ぬ。瀧口入道はその鶯を横笛の化身と悟り、その亡骸を阿弥陀如来像の胎内に納めた、という話がある。

 

高野山大圓院に伝わる「鶯井」「鶯梅」「鶯阿弥陀」の由来譚だが、これを伊東酒造の「横笛」はエピソードとして採用し、それを酒造の初代当主から聞いた日本画家の伊東深水が深く思いいたり、伊東酒造に対して「紅梅の図」を描いてくれた、という。

 

へー、って、思った。

 

隣に伊東近代美術館というのが併設されていて、日本画のコレクションがあったりする。諏訪は、2000年代後半に、本屋もどんどんなくなっていったし、図書館もイマイチしょぼい、ので、松本が恋しかったけれども、かつて、繊維や精密工業で栄えたお金で、文化をそれなりにストックしていたんだな、と思って、諏訪にいるときは、積極的にラリックだとか、武井武雄のイルフ童話館だとか、この伊東近代美術館とか、原田泰治美術館とか、平林たい子文学館とか、島木赤彦記念館だとか、積極的に行ってみた。

 

そういう感じで、話が話を呼んでくる後藤明生作品。

 

まあ、ウケないか、現代では。