光朗(ミツルー)の日記

窓際社員のミツルーです。読書かと思えば最近は本当に日記です。

すでに一年たっていた

去年自分は何してたかなあ、と、過去のブログをあさったら、そうだった新潮文庫の夏の100冊を読もうと思って頑張ってた。でも、途中で止まっちゃった。なんで止まったんだっけ。なんか、合わない本があったんだよなあ。何が合わなかったかって、忘れちゃった。そして、また夏がめぐってきて、新潮夏の100冊は2026年度版が出来ていた。宮本輝さんは今年は『錦繡』でしたね。

 

そうだ、最初はスタンダールのことをつぶやくために、ここに来たんだった。某サイトで、仲良くなった人たちに、まあなんというかな、当てが外れてハブられた、とでもいうのかな。参加するんじゃなかったなー、余計なことをしてしまった、という感じで、流れてきた。5月のことだったね。あれは。

 

すっかり忘れていたわけじゃないけど、時の流れが意外に速くて、忘れそうになってた。痴呆じゃなきゃいいけど。とにかくそれで、一瞬、読書する意欲がわいてきたんだな。でも、徐々に、特に今はなんだか読書したくない、いや、できない感じになっちゃってる。というか、文章を書けなくなっている、ということかもしれないな。

 

ファンタジースプリングスに一泊してみた 3

21:30に部屋到着。

案外広い。部屋のタイプは言えない。

製氷機が近くにあるとなおよい。

ちっちゃなテーブル、いす二つ、ソファーベッド、エクストラベッドで、仕様は他の併設ホテルとまあそんなにかわらないけれど、快適に過ごせた。

 

2日目は、ハッピーエントリーがあったので、そっちの列へ。7時20分くらいに行き、折り返し列ちょっと折られたところくらいだった。やや日陰もあり。昨日並んだところは日陰にならない。あんまり早起きしなくても、専用入り口があるから、すごく並ばされたという感覚はない。

 

8:00から、荷物チェック開始。8:20分には、入園ゲート列に押し出される。まあ、私なんかはどうでもいいところなのだけれども、世間的には、ちっちゃい子を連れたベビーカーの後ろに並ぶな、とか、異国の大家族の後ろには並ぶな、とか、いろいろ鉄則があるらしいが、そんなのわからない。わからないけど、今回うちの列は、どうもトラブルがあったようで、他の列よりも遅れた。

 

ショーは全部外れ。アナ雪にワーッと並んで、20分くらいで、乗れた。このスタートダッシュがまあ、一つの良さですよね。昨日アトラクションにはたくさん乗ったので、無理をせずに、パスをとったレイジングスピリッツとか、シンドバッドとか、そういう楽なところを流す。それで、朝食兼昼食のアレンデール城のレストランに行く。

 

昨今は、レストランすら入場予約をし、事前にメニューを選んでおくタイプになっている。便利なのか、時間に急き立てられているのかわからない。

 

私たちは、いつも、スタートでいくつかアトラクションに乗る。早めの昼食をとる、アトラクションをお昼に回る、午後はおやつ、夕方以降またアトラクションをまわる、という、スタイル。変にお昼時間に取ろうとすると、どこも混んでいるからだ。10:30くらいに入って、しっかり食べた方が、比較的すいているし、穏やかに時間が使えるきがする。

 

もう一回、ピーターパンに乗りたいということだったので、少し並んで、子どもらは乗った。私は、乗った後めまいがするので、今回は遠慮。

 

チェックアウトについては、部屋に荷物を置いたままで、適当な場所に取りおいてくれるというサービスがある。今回は、一度私は部屋に戻って、チェックアウトをし、ラウンジに並ぶ、というミッションがあった。

 

エントランスの中1階にあるラウンジは12:00に開場。11:30に並びに行ったら、すでに一組待っていた。最初、その待っている人らに気付かず、階段の入り口付近でジッとしていたが、係の人に指摘され、階段向こうにあるちょっとした空間みたいなところに、壁づたいに並ぶのがルールのようだ。こういうのが、わからないから、一度やってみることが必要なんだよね。

 

2組目に並び、窓際のソファ席に座れた。その席は2つしかないので、3番目の4人組は、ちょっと小さい円形のテーブルに4人(でも窓際)という感じだった。11:45に、祝福的な挨拶があって、11:55分には席に通される。私と、上の子しかいなかったけれども、とりあえず誰かいればいいようだ。時間は無制限で、アイスコーヒーやコーヒーはお代わり自由だった。セット4000円、単品2000円くらいなので、まあ高いけれども、そのつもりで来ているので、ただ、だらだらした。

 

15:00に再度パークに入って、アレコレと乗る。センターオブジアースにも乗る。ソアリンにも乗る。どれも、金の力を使う。その日はとても混んでいる日だったようで、動くのも大変ではあったけれども、ニューヨークデリとか、ユカタンベースキャンプとか、適宜休みを挟んでいった。

 

19:30には、ホテルのディナーを予約していたので、そこでご飯を食べて帰ることにしていた。朝と違うのは、切り分けてくれるローストビーフがあることや、それぞれの料理がグレードアップ。これは悪くないですね。

 

なんやかやと帰りが遅くなってしまうのだけれども、これはこれで満足。

 

ただ、ちょうどパーク終了と食事終わりが重なってしまって、渋滞が発生していました。浦安から回って、首都高方面に向かいましたが、わざわざそうしなくても、大丈夫だったのかも。その辺は、動いてないと死にそうになる小生なので、わかんないです。

 

しかしまあ、たかが一泊で、ずいぶんお金がかかるものだと思いました。お土産代と飲食代が、宿泊代と同じくらいだったので、なんというか本末転倒かもしれませんね。

書くことはない

すっかりご無沙汰している。

盆の前に、ディズニーチャレンジをして、キャンプをして、台風の中、テントが死にかけたりということがあって、もう、夏も終わりに近づいている。

というか、仕事は始まっている。

ただ、今は、休暇の人もいたりして、のんびりと進んでいる。のんびりとしていいのかどうか、悩ましいところだが。

 

インスタ投稿を半自動化するも、むなしい。文章が生成されてくるのはいいけれども、案外、20も投稿すると、似たり寄ったりになってしまう。

 

ああ、数重ねると、こんなに定型に見えちゃうんだなー、と、似たようなアカウントを調べてみると、みんなは生成した文章を多少手直しはしているようだ。

 

枠のデザインを生成、枠に組み込む画像は自分で用意する、画像に合わせて周囲の飾りが変化して、キャプションは別のプロンプトで生成、組み合わせる。自動化とは言えないけれども、イチから投稿するよりは労力が減ったことは確かだ。

 

ただ、統一感はあるが、正直、これを面白いと言えるのだろうか。まあ、朝起きて、チャチャっと、時間指定で1週間分設定しちゃうので、楽と言えば楽だ。

 

全自動もできる。

できるけれども、それだと、この半自動型のつまらない投稿がひたすら再生産されるだけで、何の面白みもない。

 

例のママ友トラブルとか、子どものいじめ解決とか、スカッとなんちゃらとか、パターン化したものを小分けに切り出して、同じデザインで定期的に上げ続ける、というのは、もうできる。できるけれども、それでやってる当人は面白いのか。面白くなくても、月収100万の商材のためならがんばります、ということなのかもしれない。

 

なんかそんなことしか書くことがない。

 

 

ファンタジースプリングスに一泊してみた 2

宿泊予定者として、朝早く入場して、Web上でのチケット争奪戦が、第一幕だ。

これは金で解決することにした。

DPAという優先権をお金で買う。200分並ぶのを5分から15分で乗る。

ホテル一泊の場合、2日で回るという意識でやりたい。

 

小生らは、あえて、プライオリティパスを取る、DPAを買う、である程度の流れが作れたところで、ホテルの朝食ブッフェを予約していた。つまり、朝イチで行き、少し早めに入り、チケットをWebで流れを作り、ホテルへ戻り朝食ブッフェを食す、流れにした。

 

ファンタジースプリングスレストラン。タワーの方はもう、無理だけれども、こっちはまだ何とかなる。内容について、あれこれ述べたいが、忘れてしまった。が、おおむね満足だった。

 

食べた後に、また入って、アナ雪(DPA)、レイジングスピリッツ、シンドバット乗りながら休憩、ののち、早めの休憩。今回は、ホテル朝食を食べたけれども、朝イチアトラクション、午前中に食事と休憩、午後カフェと、金にものを言わせて、乗りたいものに乗る、終わり際、7:30以降に細かいものに並ぶ、くらいで、今回午後にトイストーリーマニア、センターオブジアース、夜19:30以降にピーターパンと、ラプンツェルと、ティンカーベルのビジーバギーに乗った。

 

ホテル宿泊前日インは、入り口が、新エリアにあるから、人々が帰りを急ぐ中で、いつまでも新エリアに滞留できる、というのが、利点であろう。その日が多少空いていたというのもあれど、やはり20:00以降ウダウダできるのは、強い。

 

個人的には、アナ雪は良い。お金を出して乗ってもいい。映画を見ていると、もっといい。ティンカーベルは、ちょっとお金を出すには微妙。これはピーターパンをよくわかっていないからかもしれない。あんまり、共感できてないからかも。

 

ピーターパンは、思ったよりも面白かった。ソアリン的な趣向があって、小生のような中年は、乗り物酔いしてしまうが、あれはなかなか面白かった。40分以内なら並んでもいいと思った。

 

ラプンツェルは、ちょっと、小生はどうかと思うけれども、涼しいといいかも。

 

まあ、新エリアを2日かけて乗り尽くす、というときにはやっぱり、ホテル泊はいいかもしれない。また、ファンタジースプリングスよりも高級なグランドシャトーというのがあり、これは入り口はホテル内にあってそこで並ぶため、暑くない(と思われた)。なので、もっと金にものを言わせられる人は、そこからいくというのもいいだろう。流石に、それは予約ができない。

 

1日目は、そんな感じで、21:00にホテルへ戻った。小生は、駐車場に2回ほど行ったので、何度も、宿泊証明書を見せて、行き来をする。宿泊証明書はレシートみたいなやつで、それにあったクリアファイルに入れてくれるのでクシャクシャにならない。ただ、無くしやすいと思った。

ファンタジースプリングスに一泊してみた 1

デズニーシーの一番新しいホテルに一泊してみた。

その感想を、記してみる。

 

どうやら新しいホテルがあると知り、促されるままに一泊をすることになった。

そして、朝、5時半に家を出た。

1時間くらい走って、ホテルに着いた。

 

ちょうどデズニーランドの入り口を左目に見て、本来ならそのままシーに行く道の途中で左折、するとすぐ左に、ホテル入り口が。慌ててバックしたくらいなので、左折直後から、確認してないと、通り過ぎる。

 

入り口は、宿泊者チェックがあるので二、三台詰まる。もたつく小生の後に何台か車が並んだ。

 

エントランスで、荷物を下ろし、部屋までチェックインになったら持ってってもらう仕組みを利用。泊まる前の入園も、ファンタジースプリングス特別入り口から入れる。

 

ハッピーエントリーという宿泊者が一般者より先に入れる列がまずあり、そこは日陰が多少あるので過ごしやすい。ただ、我々はまだ宿泊してないので、それとは別の列を示唆される。ただ、それでも、ハッピーエントリー者入園後に入れ、多少のアドバンテージはあった。

 

ハッピーエントリー列は、おおよそ、7時の段階で、10組くらいはいて、そこから40組(1組:家族6人イメージ)くらい並ぶと、折れ曲がる。7:30で一折れ曲がりくらいのペースだったかも。ハッピーエントリーの荷物チェックが8:00。そこから20分くらいで並んでいる全員が入りきる。小生らの前日宿泊予定列は、15組くらい?そんなに並んでない。7:30にそれ以下で、8:00になってもそれくらい。この列は荷物チェックが8:30以降、ハッピーエントリー者が全部入ってからのチェック開始。

 

ちなみに、この前日列は、フロントで今日チェックイン予定であることを告げ、入館者証明みたいなものをもらわないと並べない。そこだけ気をつける。

 

小生、デズニー一般入園列の浅ましい前進競争が嫌いなので、金を出しても、この特別入り口がいいと思った。実際、出発が遅れても、そんなにダメージはない。8:45には、シーのアナ雪エリアに入って、めぼしいアトラクションに並ぶことができるからだ。ハッピーエントリー時は、アナ雪アトラクション35分待ちで行けた。プライオリティパスも、10:45くらいのレイジングスピリッツはとれた。ショーは全滅。まあ、そんなものだろう。

 

金にものを言わせる。乗りたいアトラクションは

古井由吉「聖」 1

古井由吉の『聖・栖』を読み始めた。1975年に発表されたとある。昔買った文庫だけれども、今回、流れで古井由吉の「祈りのように」という短編を読んだら、やっぱり面白かったので、中編くらいに再度挑戦してみようか、という気持ちになったのである。

 

自暴自棄で、山行をしていた若者が、お堂に泊まっていたら、変な若い女が現れて、死にゆく婆さんを看取る「ヒジリ」になってくれ、と依頼され、断ろうとするも、離れがたくなって、村の因襲に巻き込まれていく、という出だしである。

 

超自然的な空間で、変な女と主人公が出会う、というのは、泉鏡花ならぬ古井の得意の構図だと思うけれども、タイトルがあんまり90年代以降の人にとっては、ピンと来なかったので、放置していた。古井の小説は、軒並みそうである。タイトルがなんかそそられないのだ。

 

ただ、今回「聖」の出だし2節を読んでみて、ナウシカみたいな若い女が出てきた。要するに美人だと描かれているけれども、自分はその美をそっけなく扱っているタイプの女。「杳子」の場合、狂気的な味付けが、その辺をごまかしてはいたけれども、「聖」の場合は、もう少し責任感や社会性のある女として描かれている。

 

「聖」は、今読むと、前田愛が民俗学的な話でごまかしているように、村と差別の関係を図式化したような構図をしている。村に流れ着いた流浪者は、村はずれに住み着く、ほどこしを与えるも小さな差別が行われるが、死者が出ると、その流浪者が「ヒジリ」となり、川の向こうにある墓地に埋葬する役目を果たす。そのため、村にとっては欠かせない成員の一部として扱われる。しかし、ときおり、村の女が、ヒジリと通じることもあり、そうなると、ヒジリは川をつたって追い出される。そこにまた、新たなヒジリが召喚される……という構図が繰り返される、という説明が入るのだ。

 

戦後、そうした風習はすたれつつあったが、まだ、その風習を信じている年寄りもいて、その願いをかなえようと、たまたま流れてきた主人公が、女に頼まれて、アルバイトのつもりで「ヒジリ」役を頼まれる、という流れになっている。

 

戦後の「ヒジリ」習慣の説明部分は面白い。古井は、なんだか朦朧とした一人称小説の人というニュアンスがあったけれども、この「聖」は、構図の説明も、小説内にあって、古井らしくない、サービスをしている。例えば、ヒジリとして流れてくる浮浪者もいなくなったので、次男三男が、一時的にその役割に充てられることも多く、たいていは、世間とうまくやれない者が二三年、そこで暮らすのだが、その役割を果たすと、村を出て、まあまあ外でうまくやる、となったみたいな説明がある。

 

で、最後のリアル「ヒジリ」は、村のイカレタ女と一緒に村をオートバイで出ていったとされる。途中、闇屋みたいなことをやりながら。

 

社会背景は、ちょうど東京オリンピックの準備をしていた時期である。農村も、ずいぶん変化した時代である。小生も、ちょうどそのころの公民館報なるものを大量に読んで分析したことがあり、1950年代の前半は、若者を農村にとどめておくために、映画の上映を積極的にやったりして、文化運動、青年運動、村の合理化、みたいなことが話題となっていた。しかし、10年もすると、例えば、東信(長野県の東部)ならば、上田なんかの工場に男たちはみんな出てしまって、帰ってこなくて青年運動もどうしよう、みたいな空気感に変わっていた。

 

ただ、女たちは、村に留め置かれたところもあって、村の風習はそれでも変えなくちゃみたいな風情はあった。ただ、徐々に、進学率が上がってくると、女たちも外に出て言って、みたいな形で農村の解体の先触れは起こっていた。今の限界集落みたいなところの村の公民館報なので、それは今日本全国の地方の都市部にすら起こっている状態だった。それを、古井の「聖」は、うまく背景としてつかっていると思った。

 

前半の四章だけ読んだだけだけれども、面白い。社会性の書き込みが希薄だとされる古井だけれども、パキッとしていて、読みやすい。

思い出1

蓮實重彦という仏文学者・批評家がいて、小生が学生時代に東大総長になった。もちろん、小生は東大を出ていない。ただ、批評家になりたい層というのが、文学部には一定数いて、当然少数派ではあったが、その種のコミュニティの末端にいると、蓮實重彦はすごい批評をする、という評判はとどいてきて、同調圧力からか、小生も読んだ。1994年くらいの話である。

 

蓮實重彦が文芸批評家としてキレキレだった時代は1970年代から80年代初頭にかけてで、その後は映画批評の方が主になっていた感じがする。そこは同時代を生きていないのでなんともいえないが、著作を追っていくと、そういう感じがした。80年代途中からは、仏文的な著作も増え、『凡庸な芸術家の肖像』などは評伝と文明批評を合わせたようなもので、小生が好きなのはこれだった。

 

全般的に、まわりくどい書き方をしていて、それが魅力だと周りでは言われていたし、小生もまた、それも魅力の一つと映った。ハシカみたいなものだったと、後年、批評家にもなれずに巷にふきだまっていたかつての批評家志望の友人たちのグループは、福田和也の蓮實批判をそのまま受け取り、礼賛から批判にまわっていたが、そうした急旋回を小生は、あまり好ましいものとは思えなかった。

 

学恩があるから批判してはいけないということではなく、読み込んだ上での内在的批判を行ったのだろうか、といういぶかしみだった。単純に、批評界隈でのポジショニングを変えただけ、のように思えた。