光朗(ミツルー)の日記

窓際社員のミツルーです。読書かと思えば最近は本当に日記です。

カート・ヴォネガット・ジュニア『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』6

日曜日は通勤のプレッシャーがないからなのか、本を読む気になれない。だから、更新もとどこおる。書きたいことがあるわけではないので、インプットの刺激がないと、アプトプットできない。することもない。プレッシャーがないと書けないというのは、不思議なことなのかもしれない。愚痴のようなものを書く際のエネルギーにしている自分としては、愚痴を生み出す日々の軋みが多少なりとも必要なのだ。しかし、軋みすぎると不安になってしまうので、それはそれで書けない。わがままなものである。

 

『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』の内容は、進んでいく。比較的読みやすい。やはり、洋モノは最初の複数章をきっちり読むことで、その先の読書がはかどる。洋画を見慣れている人なら、そんなことをしなくても頭に入るのかも知れないけれど、あんまり海外文学を読み慣れていない小生のようなタイプは、ちゃんと最初の設定章を読み込むことが大事である。

 

この章は、エリオット・ローズウォーターが「おかしく」なったきっかけの出来事が語られる。それは切ない話だった。武田泰淳だって沈黙したように、戦時中の出来事というのものは、常人にとってトラウマになるものである。

 

カート・ヴォネガットは1922年生まれ。日本人だと瀬戸内寂聴とおんなじくらいである。一個下に司馬遼太郎遠藤周作がいる。一個上だと、23歳で戦死した詩人の竹内浩三がいる。稲泉連君(かれが若い頃、一緒にサッカーしたことがある)の『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』はいい本だった。

 

 

父の上院議員は、エリオットを甘やかして、消防団の隊長ごっこに興じさせたことを後悔した。それにしても、どうしてあれだけ有能な兵士でもあったエリオットがこうなってしまったのか。

 

エリオットの奇行として紹介されるのは、とある会合で有名な詩人と知り合いになったとき、その詩人に対して、便所の落書きを偉大な詩として紹介したことにある。詩人は、それを真に受けた。のかな?

 

エリオットの奇行は、精神の混線が原因であるということが医師から示された。その混線が起こったのは、戦中、有能だったエリオットが戦線にいる中、とある家の兵士を急襲した際、そこにいたのは消防団員と子供に過ぎなくて、その子供をエリオットが殺傷してしまったことである。

 

そのせいで混線が起きた。彼の性欲エネルギーは、「ユートピア」につながってしまったということである。

 

 

世の中は、変態だらけである。性指向なるものは、極めて微細に多様である。関心がないというものもふくめて、変態的でない人はいないといえる。その変態性を社会規範で飼いならし、発動していいものとしてはならないもの、を区別する。その区別をするための社会規範がゆるめば、当然のことながら、変態的なエネルギーは他に向かう。ゆるむというか、規範をつくるほうが規範を軽視すれば、末端は、なんでおれらがそれを守らんといかんのだ、ということになってしまう。イマココなんじゃないか。

 

どうしても、日常的なところで意識を押さえつけていても、天下国家みたいなところに飛翔し始めてしまうのは、よくないところなのかもしれない。周囲をみると、まあ、それでもまだ平和にみえるが、そうでもないものがそこかしこに潜んでいるという兆候は見逃したくない。

 

学校に置き去りにされて、いつまでも親が迎えにこない、双子とか。