光朗(ミツルー)の日記

窓際社員のミツルーです。読書かと思えば最近は本当に日記です。

吉本ばなな『キッチン』 〜2025年度版・新潮文庫の100冊を読んでいく〜 22

初めて読んだのは1995年で、福武文庫だった。当時、福武文庫での刊行が多かった吉本ばななで、批評もまた賛否あった。当時新潮文庫の100冊に入っていたのは『とかげ』で、キッチンは別の機会に読んだ。久々に読んでもなかなか面白い。物語としての動きはほとんどないものの、登場人物の設定だったり、キャラクターの作り方だったり、という部分については今っぽい。

 

主人公のみかげは両親を亡くし、引き取ってくれた祖母も亡くし、途方にくれていたが、田辺雄一くんなる男子が、うちに来ないかと誘ってくれる。そこには、かつて雄一くんの「父だった」母である「えり子さん」が同居する奇妙な人間関係と距離のバグる家庭だった。「えり子さん」は超美人だが、整形しまくっていたし、本当の母は必ずしも美人という感じではないし、誘ってくれた田辺や私の容姿も明確に書かれていないが、奇妙な同居生活が始まった。

 

この新潮文庫版『キッチン』には、3篇収められていて、一篇目は、同居生活が始まるも、お決まりの恋愛とか、イジメとか、そういったことは全く起こらずに、いい距離感のまま過ごす空気が描かれる。

 

ところが、二篇目のー満月 キッチン2ーでは、かつて世話をしてくれた「えり子さん」がストーカーによって刺され、それでもその刺した男を鉄アレイで殴り、正当防衛かどうかを考えるところから始まる。結果、「えり子さん」は亡くなって、しばらくしたのちに、雄一からそのことを知らされる。そして、雄一に会いにみかげは久しぶりに、あの田辺家を訪れる……。

 

キッチン2の方が圧倒的に面白い。雄一はみかげのことが好きなんだかどうかわからない。雄一のことが好きな大学のクラスメイトがみかげの職場まで乗り込んできて、アレコレと言って帰っていく。みかげは、だからと言って雄一に対して、優先権を主張するわけでもなく、「えり子さん」の昔の同僚が雄一くんを慰めてあげなよ、と言っても、煮え切らない。

 

なんというのか、物語を動かなさないように、みかげも雄一も振る舞っているかのようだ。いや、違うな。なんというか、恋愛の契約性の部分を迂回しながら感情に決着をつけていくと、こういう感じになるのかな。いずれにしても、みかげの心情部分に引っかかりがあるかどうかで、読後感は違ってくる。あの頃は、よくわからなかったけれど、かなり老成した考え方だったんだろう。今なら、よくわかる部分も多い。

 

三篇目の「ムーンライトシャドウ」は、昔、読んだことがあったのかな?もしかすると『キッチン』の流れとは関係ないからと読まなかったのかもしれない。

 

私は恋人の等を事故で失う。その事故は、等が弟の柊の恋人を駅まで送っていく間に起こったことであり、その後私は柊と亡き人を悼みながら、時々会う関係になる。悲しみを忘れるためにジョギングしているとうららという不思議な女性に声をかけられる。時々話す仲になるが、どうやら、ある時間に何かがあの場所で起こるらしい。それはいったい……。

 

純粋な喪失体験は実は若い時にしかできないのかもしれないな、と思った。歳をとってからの喪失は、自分も可能性の一部になるし、手続きだなんだと忙しくて、甘美で悲しい喪失の感覚に浸っている暇などない。手の届かない人のロスか、若くて手続きは他の人がやってくれる時の喪失感こそ、純粋な体験なのかもしれないと思わされた一篇「ムーンライトシャドウ」。

 

昔は、深刻な体験の中で、変な言い回しとか、気になっていたけれども、今読むとそれも含めて、面白いなという気もしてくる。これに若い時にハマり過ぎると、それはそれで不思議な人になっちゃうので、現実的な関係が濃厚にある吉本家ならばそれは逆にアジールとして機能するけど、現実と向き合わなきゃいけない人がハマるのは、よろしくないのではないかという気もする。

 

小生の知り合いで、ゴーストバスターズをやっていると主張していた誰かの生まれ変わりの人がいたけれども、1970年代に思春期を過ごした際に読んださまざまなSFマンガや小説が、より先鋭的に80年代終わりに作家の中で醸成され、異世界転生モノでも過去や異世界から現代に転生するというパターンが流行ったのに影響を受けていたことを思い出す。吉本さんは少し上の世代なので、そこから現実に着地するベクトルを持っているけど、我々世代は転生前と後をわざと混同する世代だったなあと思う。