ひとはみんなうんこをする

旧「光朗(ミツルー)の読書日記」。谷川俊太郎さんのエッセイでみた一節がかっこよくて変えました。窓際社員の読書日記です。感想と日々の日記が混ざります。

エミール・ゾラ『テレーズ・ラカン』

フランスの19世紀の自然主義作家エミール・ゾラの作品で『テレーズ・ラカン』という作品があり、先日読み終わった。

 

映画で『嘆きのテレーズ』というマルセル・カルネ監督の作品があるが、これの原作にあたる。

 

ゾラというと、描写が非人間的で、客観的であろうとしすぎるために、くどく、また説明的で、感情に訴えてこないという印象もある。だからいまいち入っていけない、という声も聞いた。

 

小生も『パスカル博士』『ボヌール・デ・ダム』『居酒屋』くらいは読んだけれども、長い作品なのに「飛ばし」が少なく、息が詰まるようだなと思っていた。ただ、鹿島茂さんのゾラ評があったから、社会史の史料のように読んでいただけだった。

 

けれども、今回『テレーズ・ラカン』を読んで、その印象が少し変わった。記述が面倒くさいという印象は変わらなかったが、筋の構成は見事だと思ったのだ。

 

テレーズはラカン夫人の兄が北アフリカのオランで(カミュのペストの舞台のモデルとなった都市)、現地の女に産ませた女の子である。放蕩の兄にラカン夫人は押し付けられて、育てた。ラカン夫人には病弱のカミーユという一人息子がいた。病弱のあまり、薬をずっと飲ませられて、なんとか成人した。

 

テレーズとカミーユは兄妹のように育てられたが、テレーズに対してもラカン夫人はカミーユと同じほどの過保護を与えて、最終的に二人を結婚させた。これが問題の大元になった。

 

カミーユは、母の過保護から脱したいといつしか考えるようになり、パリで職を得たいと思うようになる。ラカン夫人は、それを許さないが、カミーユは勝手にことを進めてしまう。パリで職を得たカミーユを追って、ラカン夫人とテレーズもパリへ出て、遺産の一部で小さい住居を得た。そこに3人で住むことを条件に、カミーユの意思を認めた。

 

カミーユはローランという友人を家に連れてくるようになった。農民の子だけれども絵描きをした後、カミーユと同じところに勤めていた。テレーズにも不満があり、その不満のはけ口がローランの屈強な肉体に向かった。テレーズとローランは懇ろとなり、最終的にカミーユが邪魔になった。

 

ある時、船遊びをしようと出かけた3人だが、ローランは好機とばかりに、カミーユを溺死に見せかけて殺すとテレーズに言う。テレーズも肯定した。実際に、事は行われた。ただ、落とす際に抵抗したカミーユがローランの耳の下を食いちぎった。

 

目撃者はいなかった。しおらしく友人と夫を亡くした二人を演じて、疑いが向くのを回避した。誰も疑わなかった。けれども、ローランの傷は化膿し、その痛みがカミーユを思い出せた。テレーズもまた陰鬱になり、それがローランの気に障った。二人の間には隙間風が吹く。

 

水死人管理所で、ローランはカミーユの屍体をみる。安心と同時に、さらなる圧力を感じる。夜もカミーユが隣に寝ているような気がして、テレーズとも不和になる。アトリエを借りて、再び絵に取り組んだりしたが、たまたまあった友人をアトリエに連れていくと、「いい絵を描けるようになったと思うけど、みんな同じ顔だね、男も女も」と言われて、自分がカミーユの顔しか描けなくなっていることをローランは知る。

 

そんな折に、テレーズとローランは事態を改善しようと再婚の計画を立てた。カミーユを思う友人と元妻を演じ続け、最終的にラカン夫人に認められ、二人は再婚を果たす。周りからは祝福され、ラカン夫人も、テレーズにとって良かったと思うようになる。

 

二人は再婚できたが、事態は好転しない。夜な夜なカミーユの幻影に悩まされる。幻影が出てこないのは、ラカン夫人が二人の間にいるときだけだ。ラカン夫人の取り留めのないおしゃべりの間は幻影を忘れていられた。だから二人はラカン夫人の健康を気遣い、労わっていた。ラカン夫人は、二人の献身に感謝していた。

 

けれど、ラカン夫人も脳梗塞になり、不随になり、しゃべれなくなる。けれど意識ははっきりしていた。ローランとテレーズは、ラカン夫人の前でも喧嘩するようになった。そしてラカン夫人は二人のやったことを聞いてしまう!意識はハッキリしているから、二人の裏切りを知って心が傷んでも、復讐する事はできない。真相を書いて家にくる警部らに伝えようとしたけれども、無理だった。

 

ラカン夫人は自殺をしようとものを食べないようにしたけれど、それは二人を喜ばすだけだと思い直す。生き抜くことが復讐だと思う。そして二人は徐々に、口喧嘩から殴り合いまで、諍うようになった。

 

二人は最終的にお互いを殺すことを考え、計画し、実行しようとした。ローランは毒殺のために、薬品をいつもテレーズが飲んでいる飲み物を用意するふりをして入れた。テレーズも包丁を研ぎなおし、懐に入れた。実行直前、テレーズの持つ包丁を見たとき、ローランはなぜか憐れみを感じ、二人で泣いて抱擁して、毒を煽って死ぬ。テレーズの唇はローランのいつまでも治らぬ首の傷に触れた。それをラカン夫人は冷たい目で見下ろしていた。

 

そんな感じ。

 

ゾラのいわゆる『ルーゴンマッカール叢書』のシリーズとは異なる作品だけれども、それはそれで面白かった。

 

思ったのは、浮気した側からの記述ってあんまりないから面白いな、ということ。小生は、浮気をされる側の人間だったけど、浮気をするくらいならサクッと別れたほうがいいんじゃないということ。金の問題があるから面倒になるので、お互いに収入があれば、ダメならすぐに別れればいいじゃない、と思ったりした。当然、この時代だとできないし、できないからこそドラマになるんだけれども。

 

深い哲学的読解や、イメジャリの使い方を論じることもできそうだけど、あんまりそういう気持ちになれないなと思った。

 

なんか浅い感想だけど、別にいいや。

 

でも浮気ってなんだろうね。小生は節操を重んじるから、浮気はできない人間だと思うし、多分恋愛よりもお金の方が好きな人間なので、浮気のコスパも、リターンも少なすぎて、できない。できるのかなと思ったこともあるけど、それによって失うものが多すぎる。あと、熱意が持続しないな、と思った。